日記

日記です

0928

 学習を回していると何もできなくなってしまう。そろそろ進捗発表のスライドを作り始めないといけないわけだが……。

 三浦俊彦『虚構世界の存在論』を読み始めた。以前も一度挑戦したことはあるんだけど、途中で挫折してしまったのだった。今回も大学の図書館から借りてからすでに数日経っており、かなり暗雲が立ち込めている。しかし面白いんだよな。

 読書メモを取っていきたいなという気持ち。すぐ諦めそうだけど。

作品の変貌と同一性

 まず取り扱われるのは、歴史的作品の修正に関する問題。宮沢賢治の詩について原文と間違ったものが流布していたと発覚することや、古い絵画のくすんだ色は経年劣化の影響でありもともとそれが作者によって表現されていたわけではなかったと判明することなどが哲学的問題を呼び起こす。作品の同一性に関係しているのだと思う。

p.4 哲学はあらゆる場面に対応すべく先回りしなければならないので

 何気ない文章だけどちょっと素敵だなと思った。具体的に今困っているわけではなくとも、先回りするんですよ。

 p.5あたりのノアとアダムの可能世界での入れ替わりパラドックス(チザムのパラドックス)が以前はちょっとピンとこなかったけど、今はちょっとだけわかる気がする。しかし

p.5 あらゆる性質から独立した個体原理(haecceity)

 というのは想定されるものなのかなぁ。どうなんだろう。これを芸術作品についても考えたときにどうなるか。本書では極端な場合として、二つの作品AとBがこうした新事実の発見により、正しい姿はそれぞれBとAだったという状況が挙げられる。まずパッと思うのは、時間的な同一性、歴史性? みたいなものが重要なんじゃないかなぁという印象だけど、そう簡単な話でもないらしい。"芸術作品として"そのような歴史性が必然なのかと言われれば、つまりそれは作品についての知識がないと鑑賞体験ができなくなるという話になってしまう?

外延と現象

 作品の歴史性を重んじる(外延主義)か、その作品の現在の在り方を重んじる(現象主義)かという二択が生まれる。鑑賞をする上で作品の来歴なんてものはどうでも良くて、今知覚できるものこそが重要だという意見もなかなか説得力はあるわけだよな。

p.17 人類が長年集団幻覚に罹っていて虎を固体のように思っていたが実はガスの塊だったとわかっても、やはりそれは依然として虎だろう。しかし独身男とは実は女であったとか、独身男とは実は結婚しているものだったとかいうことが判明するなどということは考えられない

 自然種(虎)と名目種(独身男)の違い。自然種は外延主義、名目種は記述主義に対応。作品は自然種か自然種か? 名目種か?

 現象主義…芸術作品は技巧の産物 vs 直接指示的外延主義…芸術作品は天才の自然的霊感の賜物

 筆者は現象主義寄り。

第二章 虚構世界とは何なのか:不完全性

 虚構に二値論理学を適用することの是非!

 やっぱり本を読んだあとはその内容を他人に説明するステップを踏もうとすると理解の不十分さが浮き彫りになるんですね。