日記

日記です

20191105

小説

人間の尊厳と八〇〇メートル (創元推理文庫)

人間の尊厳と八〇〇メートル (創元推理文庫)

 表題作はそこそこだったけど他はあんまりだったかな。深水黎一郎、もっとひねりにひねってくる印象だったが。


 気分はFA権を取得した選手のそれである。とりあえず今所属しているところからどういうオファーを頂けるのかを見て、そこから他を探すのかを考えるつもり。新卒といっても年齢的にはかなりいっているわけだしドラフトという感じではないなぁ。まぁ実際のところFA権を取得した選手ほど能力も実績もあるわけじゃないのでもっと謙虚にいかねばな。なんかここ数日尊大なことを言い過ぎている気がする。自虐的なのは好きじゃないのでなんか逆側に振れてしまうことがときどきあるのが悪いところ。


 当該の小説を読んでいないので言いにくいけど、「愛に時間を」というタイトルがとても良いと感じる。愛というのは時間概念と切り離された状態では存在できないのではないかと思っている。愛の一つのイメージは、その対象について何度も時間をかけて考えるということである。それは時間というのが人間にとって有限なリソースだからで、つまり愛は排他性、独占性と分かちがたく結びついているということなのかなとか考えつつ。


 最近はなにか「統計的にはこういう傾向にある、こういう性質がある」みたいな当てはめ方(統計的合理性)を超えて、個別に目を向けてそこへ対してだけ成り立つ最適な振る舞いというものに良さを感じたりする。しかしやはりそういうパーソナライズももっとIT分野、人工知能分野が得意とするものでなければおかしいな。局所的な最適化にはやっぱり脳内シミュレーション的な仕組みが重要だと今のところ考えているので、自分の今の研究テーマもそういうところが動機の源泉なんだろうなぁと思う。


 ものすごい人工知能ができたとして、一緒に何がしたいかっていうと哲学な気がする。あるいは哲学的対話。今だって「哲学者の名言bot」みたいなものならできるだろうけど、そうではなくて論理を組み上げるとか、あるいはこちらの組み立てる論理のおかしさを指摘するとか、提示するルールに対して反例になりそうな際どい例(思考実験)を考えるとか、そういうことができてほしい気がした。

20191104

 えー、AGCの開催時間を勘違いしていた。日付だけ見て今日の21時からだと思いこんでいた。Twitterを見ていないとこんなことが……。悲しい。うっうっ。今日起きて日記の下書きページ作ろうとしたらmerom氏のコンテスト記事が更新されていて「え、釣りでは」とか思ったけど冒頭に「ワクワクの深夜コン」とあって打ちのめされた。えー、なんというか、えー。そんなことがあるんですか。いやコンテスト開催告知のメールが昨日来ていていつもより早いからちょっと妙だなとは思ったんですよ。だけど時間を確認するところまで気が回らなかった……。実害、実害だなぁ。ショックが大きい。AGCを一回逃してしまうとは……。(本当にどうでもいいが、今これを書いてプレビューで眺めていたらmeromという言葉がはてなキーワードに登録されていて驚いた。CPUの名前(開発名)だったのか、知らなかった)。


 AGC出そびれたショックで家にいたくなくて9時前に研究室へ来たが、明らかに精神的な不調があって何も作業はできず。2,3限は講義だったのでやはり何もできず、その後は。B3向けの研究室説明会があり、やはり何もできず。

 AGCとはまた関係ない話として、迷いがある。それは就職活動というレベルのものでもあるし、もっと根本的に生き方そのものというレベルのものでもある。他者との関わりをどうするのが最適かというのは中でも重要な問題だ。今のやり方を何十年も貫き通せる気はしない。しかし貫き通せないとどういうことが起こるのか? 自分が死ぬだけなら別に問題はないのだが、もっとおぞましい方向へ、他人に迷惑をかける方向へ向かうのではないかという気もする。しかし他人に迷惑をかけてはいけないという価値観すら根拠は明確なのか? いやそこを疑いだすのは本当にまずい兆候な予感がするんだ……。


 研究室に来たB3の中にやや強化学習に詳しい人がいて楽しくなってついめちゃくちゃ喋ってしまった。楽しかったといえば楽しかったのだけど、かなり一方的に喋る形になってしまっていて、これは良くない楽しみだなと思う。

 結局一人では楽しく過ごせないなんていう結論は寂しすぎる。もしそうだったとしても、他人に負担をかけることで楽しくなることはできるだけ拒否したい。理念の問題だ。

すべての理性的存在者は、自分や他人を単に手段として扱ってはならず、 つねに同時に目的自体として扱わねばならない

 これに全て賛同するわけではないが、僕の中の格率にはそれに近いものがあると思う。自分が他人を手段として用いようとしていることが最近はよく自覚される。世の中の一般常識がどうかは知らないが、自分の中ではそれはできるかぎり避けたいことだ。なにかしらの意味での人間不信に陥っているのではないかと思うことがある。自分も他人もさっぱり信じられない。上手くやれる気がしない。

 しかし運動、運動なのだ。人と自分を信じられない時期もあれば、なんとかやっていけるのではないかと思える時期もある。そういう揺れ動きの、たまたまちょっと底の方にあったというだけのことなのかもしれない。あまり悲観的になりすぎないようにしたい。


 話は逸れるが、格率とはすごい言葉だ。自分の持つ行為規則、つまり行動原理そのもの。僕は最近自分の好きな創作のジャンルは「行動原理を利用した仕掛け(トリックやプロット的ひねり)があるもの」と定義しようとしているんだけど、格率というのはまさにこれに近いと思える。行動原理と言っても単に性格とか持って生まれた気質ではなくて、自分で理性的に定めるルールであるとより良いと思っていて、その"意識的に選択された行動原理"というニュアンスを出すには格率という言葉が相応しいのだろうな。


 閑話休題。結局これからどうするかということだが、やっぱりTwitterをやる気にはなれない。SNS疲れというと陳腐だが(そもそもTwitterSNSではないみたいな話は置いておくとして)、Twitterを見ていて幸福度が上がるとは思えない。情報源として有益であることはわかっていて、今回だったTwitterを見ていればAGCの開始時間を誤解していることには気づけただろうし、他にも最新の論文情報とかだってTwitterを見ていないせいで見逃しているものが発生してしまっているはず。しかしそういう得を含めたとしても、それ以上に自分の理念に適したサービスではないように今は感じられる。これもまたすぐ変わることなのかもしれないが。

 理念。他人を傷つけたくない。なぜかといえば自分が傷つきたくないから。できるだけ人が離れて、傷つけるリスクを低くした状態で幸福になれるのなら、リターンをまるまる得られるからすごく良いことだと思う。難しい面もあるかもしれないけど、目指す価値はあると思う。人と近くなるといくらリターンを得られてもリスクに怯え続けなければならない。リスクに怯え続けること自体が一つの恒久的な減点なのだから、結局リターン自体が少ないのではないかと疑っている部分もある。

 とりあえずなにか書くならブログにしたい。そしてこの日記はもっと自己本位に、未来の自分が読んで面白いということだけを考えて書くようにしたい。やはりアクセス数が目に入ってしまうのは良くないな。その一点だけではてなブログから離れたいと思える。今日は意図的にストッパーを外している。今まで他人が見ているかもしれないから「1記事が長すぎないように」とか「テンションが変わりすぎないように」とか考えていたけど、未来の自分に対してそういう遠慮は無用だし、むしろ書き漏らした感情がある方がもったいない。この異様に長くなる日記、なんだか堀の手紙みたいじゃない?

 その分、できるだけ他人に伝えようと心がける記事も、もしかしたら別のところにではなるかもしれないが、書けたらいいな。これは本当に願望に過ぎないが。僕はまだできるだけ人間関係を断った状態で幸福を目指すことを諦めてはいないし、そうではない方向へ積極的に動いていくつもりはないが、運命とやらが銃口を額に当ててきたらそれは観念するしかないだろうなとも思っている。

 そういう意味でスパイラルで一番好きなキャラクターはやっぱりカノン・ヒルベルトなんじゃないかという気分になってきた。自分の中の格率を遵守し、しかしより強大な、絶対的相手に打ち砕かれ、最終的にはその礎となる。そんなキャラクターを愛さずにはいられないよ。

 上の行までで2768文字。文字数で見ると少ないなと思ったけど、プレビューて見たら長々と続いていて笑っちゃった。終わり。

20191103

 研究室には行ったけど実験回すくらいでほぼずっと本読んですごしていた。

小説

その白さえ嘘だとしても (新潮文庫nex)

その白さえ嘘だとしても (新潮文庫nex)

 とうとう階段島シリーズを読む覚悟ができた。まず2作目。完成度は高いし好きなんだけど『いなくなれ、群青』には一枚劣るよなぁという気がする。しかしここでわりと重要な情報が明かされているので必要な巻といえばそうなのか。

汚れた赤を恋と呼ぶんだ (新潮文庫nex)

汚れた赤を恋と呼ぶんだ (新潮文庫nex)

 いやぁすごい。ここで愛と信仰の話になっていくのが非常に強い。外部的に話が進行しているところももちろんあるんだけど、それよりもひたすらに内向きな描写が多くて気合の入りようがすごい。理想と妥協の話を一つの物語に混在させるとこうなるのだなぁ。

凶器は壊れた黒の叫び (新潮文庫nex)

凶器は壊れた黒の叫び (新潮文庫nex)

 信仰の対立だ。一つ前の巻と見事に対比される。設定そのものがそうなんだから当たり前ではあるんだけど、そのように当然の進行をやれるのは本当に強い。

夜空の呪いに色はない (新潮文庫nex)

夜空の呪いに色はない (新潮文庫nex)

 ここまで再読。やべー、本当に自問自答をそのまま書いちゃってるよ。すげー、成長に関してこういう書き方ができるなんて。

 ある意味で擬似家族ものでもあるんだよなぁ。家族概念は好きじゃないけど擬似家族は好きかもしれない。

きみの世界に、青が鳴る (新潮文庫nex)

きみの世界に、青が鳴る (新潮文庫nex)

 初見。あー、しかし抽象ひねりまくって飛んでいった。河野裕ややこういうところはあるよな。最後の仕掛け部分とか全く嫌いではないけど、そこに力点が置かれている感じがあんまりなくて、終盤でツイストよりも筆の勢いが重視されているかのような。んー、一気読みしたからか少しくどいという印象もあって、それが河野裕っぽいけど華やかさに欠けると思ってしまうところはあったな。仕掛けと驚きがないとどうしても説教臭くなってしまうところがあって、アイデアとしてはこの線で良かったのだからあとは書き方が……とは思うが、まぁこういうのが河野裕の好みなんだろうなぁ。

 これで一応完結として見て良いのかな? シリーズ全体として見たときの評価はサクラダリセットの方が上になってしまうかもしれない。なぜならやっぱり最終巻の印象的なシーンの構成度が違うから。その意味ではシリーズ内では『いなくなれ、群青』が一番強かったな。やっぱりこれシリーズ化する必要がなかったんじゃないかなぁ。「いなくなれ、群青≧サクラダリセット>階段島シリーズ」という感じの評価にとりあえずしておきたいところ。

 なんか河野裕について調べてたら新シリーズ始まってた。もう2巻まで出てるし。全然知らなかった。とりあえず買うだけ買って、読むのはまた少し後にしようかな。

その他

 10時間以上ぶっ続けで小説の世界に浸ったせいか、帰り道ではなかなか現実に戻れた感じがしなかった。というか今もきちんと戻れてはいないかもしれない。なんだろうなぁ、現実に対する失望感がある。人生こんなものか、という感覚。もう少し楽しくやれるものと思っていたけど。精神的にきつくなっており今は完全にTwitterとかYouTubeも見れてなくて、とにかく時事ネタ・リアルタイム性に近づきたくないという気持ちが強い。小説とか漫画を読むだけの生活がこれからどれだけ続けられるかはよくわからない。すぐ精神が保たなくなる気もするし、意外と続くのかもしれない。しかしそれにしても楽しくて仕方がないような生活ではない。寝て起きればまた別の気持ちになっているかな。

20191102

 自分は保守的な性格なのだと思っていたけど、どちらかといえば心配性であることが根源的な気がしている。心配性だから変化を怖がり、保守的な振る舞いになる。変化のないことそれ自体を好んでいる(理念的に良いと思っている)のではなくて違うものから出てきた副産物だという方が感覚に合っている。思想ではなくて原始的な性質みたいなものなんだな。

競プロ、の話をしていると思ったらコンピュータ将棋の話になってしまった

 マラソンマッチ苦手だな。第一感を実装してそれをちょっと修正することくらいしかできなくて、以降はさっぱり思考が深まる感じがなく集中力が途切れて終了という毎回のパターン。2時間以上は保たない。飽きてコンピュータ将棋の方で探索中に使う式をちょっといじったらアホみたいに弱くなってひどかった。ここ数カ月間レートの上昇がないのでやや焦り始めている。今の研究テーマはレート上昇には貢献しないだろうからなぁ。Miacisは全然振らないので明らかに探索は足りてないと思うんだけど、AobaZeroとかは普通に振飛車するっていうのがよくわからない。やっぱりバッチサイズに対して生成量が少なすぎるんだろうか。方策が早い段階で尖りすぎている気はするが、エントロピー正則化は個人的に好かないしなんならディリクレノイズすら気分は悪いのでもっと良いやり方を探したい。今日いじってみた部分は探索傾向を強めるはずなので、学習済みパラメータでは弱くなっているとしても学習からやれば強くなるという可能性はなくはない。実験量が膨大になるときついが……。

漫画

少女終末旅行 1巻 (バンチコミックス)

少女終末旅行 1巻 (バンチコミックス)

 この前読んだ『人ノ町』の表紙がつくみず氏の絵だったのでそれでなんか思い出して読みたくなった。アニメを途中を部分的に観たことがあるくらいでちゃんと読むのは初めて。確か完結しているんだったよな。こういう雰囲気の作品をときどき読みたくなるので、時間をかけて集めていければという所存。

小説

余白の愛 (中公文庫)

余白の愛 (中公文庫)

 わからん。文学的な作品を読んでもなにも感想が出てこない。

終わらない夏のハローグッバイ (講談社タイガ)

終わらない夏のハローグッバイ (講談社タイガ)

 あー、うーん、どうだ? 序盤はちょっと設定とひねりにのめり込めなくて感情の動きについていけないところもあったんだけど、途中から盛り上がりだして最後は感傷強めに落とすのは嫌いじゃない。しかし納得感、納得感なんだよなぁ。そうなることがどれだけ必然、避けれられないものであったかというのはこういう特殊な設定のSFだとかなり慎重に伏線を張って描いていかないと「勝手に視野狭くそれしかないって思ってるだけじゃね?」って感じてしまうところもある。難しいなー、方向性は好きなんだけど。進歩したデバイスを持ち出して、しかしそれがあってもまだダメという失望感を描き出すのはSFの使い方として好きなのでもう少し上手くやってくれれば手放し大絶賛だった。

20191101

 今日は全然思っていたように進まなかった。講義に出たり他人の研究に口を出していたりすると時間が一瞬でなくなる。もっと冷徹に自分のやることだけやっていかないといけないのではないか。それにしても夕方頃まだ時間あると余裕こいてたのを反省しなくてはな。本当に時間なんてない……。


 少し前まで自分が暴力的な手段に頼ることになる未来なんて実はさっぱり想像できていなかったのだが、最近はいろいろ出来事が重なればそういう気持ちになってしまうのかなと思ったりもする。自分は(多くの人に影響を与える力という意味で)暴力よりも強い力を知っている(持っている)という自信、というか自惚れが自分を暴力から遠ざけているところはあって、逆に言えばそういう自信が打ち砕かれることがあれば危ういのかもしれない。


 a crowd of rebellionのZygomycotaとFear, and Loathing in Las VegasのNew Sunriseにとうとう飽きが来はじめて、ここ数日はa crowd of rebellionのDaphneをよく聴いている。Daphneもスクリーモらしさが出ていてそれは良いんだけど、音楽に限らず自分がなにかに飽きているという状態が好きではない。飽きるだとか、好みが変わるという心の動きが、僕にはなんだか悪いことのように思えてしまう。ずっと同じものを好きで、化石のように暮らしていけたらいいのに。

20191031

 自分はすごく悲観的なものの見方をするタイプなのではないかという気がした。幸福になれば、高いところに上がれば、転げ落ちることを常に心配しなければならない。それならば地べたに居るほうが良いと思っている節がある。できるだけ崩れなさそうな足場でできているところにしか上がれないのでは、たどり着ける高度なんてたかが知れている。まぁそういう性格なのだから仕方ないなというだけの話ではあるんだが。

小説

遠海事件: 佐藤誠はなぜ首を切断したのか? (光文社文庫)

遠海事件: 佐藤誠はなぜ首を切断したのか? (光文社文庫)

 悪くはなかったけど、キャラクターの行動原理があそこまで示されると意外性のあるひねり方というのは難しいだろうなぁと思った。詠坂雄二を読むのはこれで3作目で、作風というのがやや掴めてきたというか、わりとなんでもやるタイプの書き手なんだろうな。

20191030

 今日は教授の誕生日会ということで飲み会があった。相変わらず僕は飲まないしほとんど口を開かずずっと人の話を聞いているだけなのだが、こういう場があると自分がやっぱりこういう性格なのだなということが意識されるので嫌いではない。好きでもないが。しかし「参加費の分を本に回せばあの気になってたちょっとお値段張るやつを買えたのだな……」とか考えるとちょっと寂しい気持ちにはなるかもしれない。その程度。

 なんだかんだあれじゃね、すごく単純な原因じゃねとも思うのだが、原因が単純であっても解決が単純であるとは限らないのが難しいところで。まぁ多分しばらくはこういう生活が続いていくことになるんだと思う。

小説

 面白かった。やはりミステリの醍醐味というのは謎の解決によってキャラクターの見え方が一変してくるところだと思っていて、1つ目と2つ目の話はそれが強く出ていて好きなタイプだった。謎を匂わせておいて回収されきっていないところがいくらかあるのと、3話目にももうひとひねりあれば最高だったが、話の落とし所としては不満と言うほどでもない。友桐夏という作家はこれが初めてだったけど良かったな。今調べたら電子化されているのはこれしかなかったので他を読む機会は得られなさそうだが……。