日記

日記です

20201025

 午前中はApexをしていた。午後はポケモンをしていた。夕食後はプロジェクトセカイのストーリーを読んでいた。

大会

 コンピュータ将棋の大会予行が昨日からあったんだけど、昨日の日記では一行たりとも触れていないというところにモチベーションの低さが見える。自分が参加させていたプログラムは途中で落ちてしまって以降異常終了負けが連続することに。何がひどいって時々落ちてしまうことは認識していて、その上でなにもしていなかったということなんですよね。これで相手方にも迷惑かけているのは本当にひどいな。

 予行の日が近づけばモチベーションも勝手に上がるかと思っていたけどそんなことはなかった。修論と就職活動を抱えた状態では流石に無理そうか。本番はちょっとやめておこうかな。こうしてコンピュータ将棋からも離れることになってしまうのだろう……。

シャニマス

 『ギンコ・ビローバ』の解釈が結局メタ的な告発だというところに落ち着いて、自分の中では満足ができた。天塵のときもそうだったけど、僕はどうも作品をメタ的に見たくなりがちなようだ。

 定期的に宣言しないと忘れてしまうのだけど、結局、僕は作品の分析がしたいのではなくて、作品を読んで僕がどう感じたかを分析したいのだった。そう考えるとメタ的な視点を入れたがるのも必然なのかもしれないな。

プロジェクトセカイ

 『25時、ナイトコードで。』のユニットストーリーを2話から20話まで一気に見た。とても良かった。

感想

 朝比奈まふゆの抱える虚無感はかなり真に迫る描写になっていたと思う。こうしたニヒリズムは何も特別な人のみにやってくるものではなくて、多くの現代人が抱える病理と言っても差し支えないのではないかと想像している。そして何よりそれがキツいのは、期待と失望の反復を繰り返すところにある。生きているということはまさに心理の運動であって、心が動くこと自体に疲れてしまうというのがもっとも厳しい形で(生から離れたくなる衝動として)現れるというのは自分の感覚とも一致するところが多い。そういう意味で描写がとても好きだった。

 これに対して、根本的な解決はされない。強烈な音楽の力を持って上から救おうとする宵崎奏のやり方も、共感によって横に寄り添おうとする暁山瑞希のやり方も、嫉妬心によって下から突き上げるような東雲絵名のやり方も、どれも決定打にはなりえない。でも、どれも決定打にはならないのだけど、どれも全くの無力というわけではなくて、僕らはそういったものの全てから少しずつ力をもらって、また明日を生き延びるだけの活力を得るのだ。

 大きなビジョンは描けない。人生を貫く目標なんて立たない。没頭できる趣味なんてない。そういう中で、なんとか次の一日を、また次の一日を、際どい瞬間を乗り越えながら生きていったりする。これが一つの現代的感覚なのだと思う。