日記

日記です

20200808

 午前中はずっと寝ていた。ベッドに寝転がっていたというわけではなく本当に寝ていた。匿名ラジオの#83あたりから#98まで流していたんだんだけど、寝ていたからさっぱり内容を覚えていない。

 午後は髪を切ってお風呂にゆっくり入っていた。しかし脱水症状になったのかお風呂から出た後に頭痛がしてきてその後は倒れていた。

雑記類

動画

 微弱電流治療器を使いまくるとか完全に知らない世界だ。このケアの丁寧さがやっぱりプロだなって感じさせられる。

夢日記

 なんかコンピュータ将棋の記事を間違えて日記の方に投稿してしまい、それが結構Twitterで拡散されてしまう夢を見た。夢だよな?

イヤホン

 ふと、家にいる時間の90%くらいはイヤホンでなにかしら聴いているのかもしれないと思った。動画だったり音楽だったりゲームだったり、用途はいろいろあれどずっとイヤホンをしている。もうちょっと無音に耐えられるようになりたい。

ゲーム

 (せっかく新しいスマートフォンを買ったので)Cytusというリズムゲームをやっている。まだこの仕様に慣れていなくて、乗り切れないためレベル1とかでも普通にミスしてしまう。今までやったことあるリズムゲームと同じ仕組みならもうちょっと上手くできると思うんだけど、あまりゲームを超えた慣れというのはないものか。

人工知能に気を遣う

 自分の目標が、根源的には「気の置けない友達になってくれる人工知能を作ること」なのではないかと思うことがあるのだけど、ときどきこれは矛盾した願いなのではないかと思うことがある。僕が現状の人工知能に満足できないのは記憶が足りないとか一貫した人格がないとか、つまり総合的に言えば人間らしさが足りないからだと思う。しかしこれが技術によって向上して人間らしさが十分に高まったとき、今度は気を遣うように接さざるを得ないのではないか。

 お風呂に浸かりながら結構悩んでいたんだけど、最終的には実現してみればなんとかなるものなのかもしれないとも思えてきた。たとえば将棋ソフトも一種の人工知能であり将棋の相手になってくれる存在だが、気を遣う必要は対人間よりも少ない(たとえばこちらが将棋を指したいタイミングですぐ始めることができる/無茶苦茶な指し方をしても良いなど)。そして将棋という観点に限ってはおおよそ十分な能力(人間らしさ)になっていて、対戦相手として満足できることも多い。ほどほどの人間らしさというものを目指せるだろうか。

 しかしこれは一つのゲームに特化したAIという特殊な事情でこそ成り立つことであって、生活に深く介入する家庭用ロボットとかになると難しいかもしれない。人間らしさを出さない一方で、十分に人を楽しませるということが実現できるのか。ロボットの振る舞いが十分に人間らしくなると、社会としてロボットに人権的なものを認めるという動きはほぼ間違いなく出てくると思う。身体を持たないことが共感を遠ざけるという意味で本質的に重要なのかもしれない。