日記

日記です

20190919

 出社して帰宅して漫画か小説を読んで、という生活。業務では僕の書いたプログラムにひどいミスが見つかって、本当にテストをちゃんと書くようにしないとダメだと思った。実装で増える手間よりも手戻りが発生して失われる時間の方がもったいないということは、体験しないとなかなか納得できないことかもしれない。

漫画

 ここ最近また城平京作品を追いかける感じになっていて、今日は4巻まで。序盤だけ申し訳程度にバトル漫画っぽいことをやっているのが面白いなと読むたびに思う。スパイラルも最初だけ学園ミステリっぽい雰囲気を出しつつ途中からかっ飛ばしていったし、これは城平京がテーマを与えられた中でしたたかにもそうやっていったのか、単に連載に不慣れでそうなったのかはよくわからないけど、どちらにしても連載形式の妙ではあるんだろう。まぁやや面白いことだとは思いつつやっぱり小説として一作でまとまっている方が好きだけど。

 城平京の作品を読み直していて神話の解体と再編という言葉が頭から離れない。神話的に生きること。「少年よ神話になれ」じゃん。やっぱりそういう時代の中にある問題意識みたいなものがあるのかなぁとか適当なことを言ってみる。実際のところエヴァンゲリオンにどこまでそういった背景が込められているのかよく知らないけど。

 作品とは出会い方が重要で、思春期に読んだからこそ、というものは結局多いのだと思う。それだから他人に自分の好きなものを勧めようなどとは思わないのだろう。今後自分の中でトップ5とかが更新されていくことはあるのだろうか。トップ2とかは、もう固まってしまっているんじゃないかなと思ってしまうが(こう思ってしまうこと自体が新しく読む作品に対してバイアスをかけてよく思えなくなっているのではないかと感じることはある)。

その他

 僕が取り組みたいのは意思決定の問題であって、制御系の問題ではないなと何回目かの確認をした。ロボットがアームを制御して上手くものを掴むように学習させることには興味がなくて、どれを掴むべきなのか、そもそもものを掴むべきなのかという意思決定の問題をさせたい。雑に言ってしまえば、行動が連続値であるもの(モータの回転量制御とか)には興味がなくて、離散的なもの(ゲームにおける指し手決定とか)の方に心が向く。もちろん連続から離散への移行、つまりどの筋肉をどれだけ動かせば2本足で前に進めるかという制御から、「歩く」ということが一つの行動として切り出されるまでの遷移にも多少興味はあるが、これはまた難しそうな問題だ。