通時的自己同一性を(少なくとも理念的には)信じない人間が、「-5を我慢すれば+10が得られる」という取引を受け入れられるはずがない。いや、利他的な人間なら「自分が-5を受けるが他人が+10を得る」ことを選択するのと同様の意味で選択するのかもしれないけど、残念ながら僕はそこそこ強めな利己主義だと思われる。
自己の連続性を0か1かではなくグラデーションを持つものとして考えた方が良いのではないかと思い始めてきた。「赤の他人より自分の子供が大事」というのと同じ意味で、「赤の他人より10分後の自分の方が共感しやすいので大事」というだけなのかもしれない。この理屈で言えば「10年後の自分より10分後の自分の方が共感しやすいので大事」ということになる。
少し前には向精神薬を使用した際の自己同一性に悩む話があった。コンサータを使う自分と使わない自分ではどちらに共感しやすいだろうか。おそらくそれぞれに共感できる部分とできない部分があり、その総和を取って大きい方を採用するというような形でモデル化できないかなと考えている。
人間心理の本性を追求するというよりも、それを上手くモデル化したいなという気持ちの方が強い。全体的に僕はモデリングの方が心理探求よりも好きな傾向があって、そのへんが工学者か理学者なのかという違いなのかもしれない。