日記

日記です

20190607

 2限の講義で英語の発表を済ませた。もう昨日からずっとこれが気がかりで朝もお腹が痛くなってしまったし本当に嫌だった。日本語での発表はかなり慣れてきた感じもあるんだけど英語になっただけでもう全然ダメ。

 何が嫌なんだろうと考えていたけどよくわからない。失敗することなのだろうか。この講義にはほとんど知り合いはいないので失敗(とは?)をしたところで何がどうなるということもないとは思うんだけど。しかし無能をさらすのは嫌だなという気持ちは一つありそう。人をすぐ見下す人間は見下す恐怖に囚われるということなのだろうか。しかしそんなのどうすればいいんだ。性格も少しずつやっていけば治るものなんだろうか。

 その後もいろいろあって自分の作業はほとんど進まなくて。思うところがなにもないわけではないけど、落ち着いてできることをやっていくしかない。

その他

 結局、人間関係をかなり断ってきているわけで結構まずいなと思った。断っているというか、正確には「日頃顔を合わせなくなった人とどのような距離感で接すればよいのかわからない」という感じなんだけど。特別なイベント性みたいなのが苦手で、僕の日常内に居場所がない人間に対する興味がかなり薄くなってしまう。

 Twitterが日常になりきらなかったのは自分としても残念なところだ。インターネットで日常性を獲得する場として悪くないところだとは思うけど、どうしてやめてしまったんだっけ。しかし消した日(20190302)の日記を見ても「自分でもどうしたいのかわからない」とか、むしろ「なんで復活させたのかももう思い出せない」とかしか書いてなくて、つまり何もわからないんだろうな。きっと何かに期待して、勝手に失望して、そういうものが集積した結果として今があるのだと思う。