09:24に研究室着。
午前中は競技プログラミング。そこそこの問題を2つ解いて後は将棋観たり。実装力が足りませんねー。これはどうやって身に着けるものなんだろう。たくさん書く以外の方法はないかな。
Exitの論文を読んでいるが、やっぱりよくわからないところがある。文法がよくわからないところすらある。なんというか、ちょっと論文の質が良くなさそうとか思ってしまうんだけど……。
今日も今日とて深浦-藤井戦に気をとられてなかなか作業が進まない。さすがに将棋中継観過ぎだなぁ。もうちょっと自分の作業をしっかりやっていかなければ。
今日はもうあれだなぁ。文章書きの日だなぁ。
研究、どこかと被りそう(被ってそう)という恐怖がずっと消えない。そんなのどうせいっちゅうねん。
しばらく居室して競プロやったりしてみたけどまぁ集中力でないっすね。
20時前に離脱。今日はひどかった。さすがにちょっと将棋中継見るの自重しましょうかね。しかし藤井聡太は強い。
そのあとはダラダラしつつSkype練習会に参加したりなど。なんか日曜日に5時間のヴァーチャルコンテストやるっぽいですよ。v-judgeのアカウント持っている人は参加できるかもしれなかったりしなかったり。
その他
「無から有は生まれない」とすると、現状世界は有であるように思われるため世界が無であったことなどないのだろう。地球が生まれる前、宇宙が生まれる前……などと考えていくとどこかで無である状態があるように思えてしまうが、おそらく誤謬だ。
僕は時間という概念を常々不思議に思っていて、今のところは『「いま」と「わたし」は同じものの別名である』という永井均の説明が気にっているんだけど、今後どう転んでいくかはわからない。
おおよそ「いま」という概念は主観に頼らざるを得ないものだと思っていて、客観的世界に「いま」があるとは思えない。そうすると過去はどこに行ったのか? というような問題があり、実は過去はどこにも行っていないのだ、ということになる。あらゆる瞬間が均質に存在しており、ただ「わたし」という主観的存在によってそれが特別視される。したがって「わたし」も偏在していなければならないが、「わたし」が「わたし」と思うところの「わたし」はこの「わたし」だけなのだ!
単純な永劫回帰は否定されているのだろうか、ということを考えている。原子の状態とかは有限で、一方で宇宙を含めた「この世界」丸ごとの生成はおそらく時間から独立した事象であるように思われるため無限の仮定がある。したがって全く同じ原始の状態が複数回(それは当然無限回)発生しうるのではないか。これはなんとなく単純な物理の話で否定されそうな気がする。つまり今の状態というのが原子の状態というように有限のものの組み合わせのみで記述できるものではないのではないかということだ。そうなると無限vs無限ということになり、濃度? とかの話になってくるのだろうか。この辺りはさっぱりである。