日記

日記です

20191104

 えー、AGCの開催時間を勘違いしていた。日付だけ見て今日の21時からだと思いこんでいた。Twitterを見ていないとこんなことが……。悲しい。うっうっ。今日起きて日記の下書きページ作ろうとしたらmerom氏のコンテスト記事が更新されていて「え、釣りでは」とか思ったけど冒頭に「ワクワクの深夜コン」とあって打ちのめされた。えー、なんというか、えー。そんなことがあるんですか。いやコンテスト開催告知のメールが昨日来ていていつもより早いからちょっと妙だなとは思ったんですよ。だけど時間を確認するところまで気が回らなかった……。実害、実害だなぁ。ショックが大きい。AGCを一回逃してしまうとは……。(本当にどうでもいいが、今これを書いてプレビューで眺めていたらmeromという言葉がはてなキーワードに登録されていて驚いた。CPUの名前(開発名)だったのか、知らなかった)。


 AGC出そびれたショックで家にいたくなくて9時前に研究室へ来たが、明らかに精神的な不調があって何も作業はできず。2,3限は講義だったのでやはり何もできず、その後は。B3向けの研究室説明会があり、やはり何もできず。

 AGCとはまた関係ない話として、迷いがある。それは就職活動というレベルのものでもあるし、もっと根本的に生き方そのものというレベルのものでもある。他者との関わりをどうするのが最適かというのは中でも重要な問題だ。今のやり方を何十年も貫き通せる気はしない。しかし貫き通せないとどういうことが起こるのか? 自分が死ぬだけなら別に問題はないのだが、もっとおぞましい方向へ、他人に迷惑をかける方向へ向かうのではないかという気もする。しかし他人に迷惑をかけてはいけないという価値観すら根拠は明確なのか? いやそこを疑いだすのは本当にまずい兆候な予感がするんだ……。


 研究室に来たB3の中にやや強化学習に詳しい人がいて楽しくなってついめちゃくちゃ喋ってしまった。楽しかったといえば楽しかったのだけど、かなり一方的に喋る形になってしまっていて、これは良くない楽しみだなと思う。

 結局一人では楽しく過ごせないなんていう結論は寂しすぎる。もしそうだったとしても、他人に負担をかけることで楽しくなることはできるだけ拒否したい。理念の問題だ。

すべての理性的存在者は、自分や他人を単に手段として扱ってはならず、 つねに同時に目的自体として扱わねばならない

 これに全て賛同するわけではないが、僕の中の格率にはそれに近いものがあると思う。自分が他人を手段として用いようとしていることが最近はよく自覚される。世の中の一般常識がどうかは知らないが、自分の中ではそれはできるかぎり避けたいことだ。なにかしらの意味での人間不信に陥っているのではないかと思うことがある。自分も他人もさっぱり信じられない。上手くやれる気がしない。

 しかし運動、運動なのだ。人と自分を信じられない時期もあれば、なんとかやっていけるのではないかと思える時期もある。そういう揺れ動きの、たまたまちょっと底の方にあったというだけのことなのかもしれない。あまり悲観的になりすぎないようにしたい。


 話は逸れるが、格率とはすごい言葉だ。自分の持つ行為規則、つまり行動原理そのもの。僕は最近自分の好きな創作のジャンルは「行動原理を利用した仕掛け(トリックやプロット的ひねり)があるもの」と定義しようとしているんだけど、格率というのはまさにこれに近いと思える。行動原理と言っても単に性格とか持って生まれた気質ではなくて、自分で理性的に定めるルールであるとより良いと思っていて、その"意識的に選択された行動原理"というニュアンスを出すには格率という言葉が相応しいのだろうな。


 閑話休題。結局これからどうするかということだが、やっぱりTwitterをやる気にはなれない。SNS疲れというと陳腐だが(そもそもTwitterSNSではないみたいな話は置いておくとして)、Twitterを見ていて幸福度が上がるとは思えない。情報源として有益であることはわかっていて、今回だったTwitterを見ていればAGCの開始時間を誤解していることには気づけただろうし、他にも最新の論文情報とかだってTwitterを見ていないせいで見逃しているものが発生してしまっているはず。しかしそういう得を含めたとしても、それ以上に自分の理念に適したサービスではないように今は感じられる。これもまたすぐ変わることなのかもしれないが。

 理念。他人を傷つけたくない。なぜかといえば自分が傷つきたくないから。できるだけ人が離れて、傷つけるリスクを低くした状態で幸福になれるのなら、リターンをまるまる得られるからすごく良いことだと思う。難しい面もあるかもしれないけど、目指す価値はあると思う。人と近くなるといくらリターンを得られてもリスクに怯え続けなければならない。リスクに怯え続けること自体が一つの恒久的な減点なのだから、結局リターン自体が少ないのではないかと疑っている部分もある。

 とりあえずなにか書くならブログにしたい。そしてこの日記はもっと自己本位に、未来の自分が読んで面白いということだけを考えて書くようにしたい。やはりアクセス数が目に入ってしまうのは良くないな。その一点だけではてなブログから離れたいと思える。今日は意図的にストッパーを外している。今まで他人が見ているかもしれないから「1記事が長すぎないように」とか「テンションが変わりすぎないように」とか考えていたけど、未来の自分に対してそういう遠慮は無用だし、むしろ書き漏らした感情がある方がもったいない。この異様に長くなる日記、なんだか堀の手紙みたいじゃない?

 その分、できるだけ他人に伝えようと心がける記事も、もしかしたら別のところにではなるかもしれないが、書けたらいいな。これは本当に願望に過ぎないが。僕はまだできるだけ人間関係を断った状態で幸福を目指すことを諦めてはいないし、そうではない方向へ積極的に動いていくつもりはないが、運命とやらが銃口を額に当ててきたらそれは観念するしかないだろうなとも思っている。

 そういう意味でスパイラルで一番好きなキャラクターはやっぱりカノン・ヒルベルトなんじゃないかという気分になってきた。自分の中の格率を遵守し、しかしより強大な、絶対的相手に打ち砕かれ、最終的にはその礎となる。そんなキャラクターを愛さずにはいられないよ。

 上の行までで2768文字。文字数で見ると少ないなと思ったけど、プレビューて見たら長々と続いていて笑っちゃった。終わり。