日記

日記です

20191020

 昼過ぎに研究室へ行ったけどあまり進まなかった。早めに帰ってアニメを観るなど。

アニメ

 7話まで観て、好みの方の展開にはならなそうだなと判断して視聴を止めた。視聴しながらメモを残していたんだけど、見返してみると途中から「うーん、キャラクターの動かし方が……」という内容ばかりで笑うしかない。

 キャラクターの動かし方があまり好きではなかった。非写実的なことが気になるというより、非写実的なやり方の中での好みの違いという印象。きっちり理屈付けられるかは不明だが、アニメっぽいやり口ではあると思う(動きや場面転換が多いので!)。やっぱ場面を転換せず延々と話させるみたいなことはアニメではやりにくいんだろうな。

 どこを観ていても「ここからどうやってツイスト決めるんだろう」とか考えてしまう。話を動かすのが速く、「そこに仕掛け置いておきそう」というところをどんどんオープンにしている感覚がある。溜めとして使いそうなところを全然溜めないというか。そして結論が見えないので話を動かしていくべき方向が見えない。

 やっぱり新しい視点、面白い考え方みたいなのがあまり出てこなかったというのが一番きつかったところかもしれない。まぁこの「新しい」とか「面白い」という言い方は欺瞞で、要するに僕に近い思想が出てこなかったということだと思う。結局僕が求めているのはエコーチェンバーなんだよな。自分の気に入る思想を作品の中に見出したいだけで、そういう心地よさしか求めていないということなんだろう。

 すごい。ものすごく好みな話だった。最後の話では一つの完成形を見た。これが僕の考えていた一つの物語として研ぎ澄まされた形なのだ。いろいろなことが頭の中で繋がった。なるほど……。そうか。ルールの束としてのキャラクター。それとアンドロイド。素晴らしいなぁ。ものすごく可能性を感じた。ロボット三原則自体はあれなんだけど当然これも創作だからそういう使われ方をするわけで、それが最近考えていた行動原理を利用した仕掛けで、完璧なんだ。そうか、アンドロイドもの本質的にありだなぁ。

 そして、あー! 「人工知能は人間を超えるか」って本の帯、あれってこのイヴの時間のキャラクターだったのか! あー! なんてことだ! なんてことだ! 僕もその本に影響を受けてないなんてことは言えない。びっくりしたことに、読書メーターの記録を見てみたら僕はその本を2015/3/11、2015/5/12、2015/11/3の3回も読んでいた。わかるか? 4年前、つまりそれは僕が情報工学科に編入することを決めた年で、読んだタイミングから見てもかなり決断に影響を与えたことは明々白々。そうか、そしてそれはここに繋がったりもするのか。

 なんか、嬉しいな。問題意識がちゃんと繋がっていたというか、過去の僕との連続性を感じたというか。最近少し研究に対して「こんなことして何になるんだろう」というような迷いを感じていたんだけど、ひょっとしたら間違ってないんじゃないかという気分に少しなった。もちろんこの本だけの影響ではなくて、どちらかといえば電王戦FINAL(2015/3,4)の方が根本的な影響としては大きくて、今コンピュータ将棋をやっているような形になっているわけだけど、そこでできるだけ汎用的な強化学習にまつわる方向に行っていることはきっと間違いではなくて、それがきっと僕の本質的な問題意識に絡んでいるんだ。なんだかものすごく救われた気分になった。成果の出ない日々は苦しいんだけど、もう少しやっていこうと思えた。