日記

日記です

20190826

 他人と比較せずに生きることは難しい。やるならきっちり人間関係を断っていく強い意志が必要だと思う。それこそ出家するくらいの。多くの場合それは簡単なことではない。かといって0か100かという問題でもないのだから、すべての時間を比較の中で生きていくということになるわけでもないのだが。たいていの問題は0と100の間にどこか心地良い地点があると信じて常に揺れ動くというようなはっきりしない解決──それも擬似的なものにすぎないのだが──を目指すしかないのだろう。今日も一歩、どちらかへ動いた。


 自分はそこまで自己評価が低い方の人間ではないと思っているが、それでも客観的指標がある分野じゃないと安心しにくい気はしている。主観的な評価しかできないような分野では、際限なく自己評価が低くなる可能性がありそうだ。競技プログラミングもコンピュータ将棋も、レートという指標が出てくれるところが良い。


 「失敗(苦しんだ経験)を糧にして成功できました(幸福になりました)」という考え方が嫌いだなと思った。僕は時間的な自己同一性をやや疑っているところがあるから、失敗して苦しんだ自分と、成功して幸福になった自分は別人に近いものだと思っていて、つまり苦しんだ過去はもう変えられないのだと感じている。苦しんだ過去が生まれてしまった時点でもうその過去は救えない。一生残り続ける。