日記

日記です

20190625

 課題を出し終えて、久しぶりにやらなきゃいけないタスクがない状態になった。というわけでプログラミング(競プロではなくて、研究よりの「何がどう実現できれば良いのか」という設計から実装まで)をやっていたんだけど、これが楽しいんだ。論文を書くことよりも明確に面白いので論文を書きたくない。わかりやすさを求めていくことにどうしても愉快さを見いだせない。論文を書くのが好きではないのだから、やはり僕は研究者には向いていないようだ。某社に振られた時点で研究職系に進むのはもうさっぱりと諦めているんだけど、日に日に向いてないなという気持ちが強まっていく。正当化(認知の歪み)か?

 非常に残酷な出来事を何度も起こすのだけど最善説をただ否定したいというわけでもなさそうだと思う。全体の幸福のために犠牲であるという思想が個人にとって救いになるとは思えない。かといって最終的に「やっていくしかない」みたいな結論に落ちていくのもそれはどうなんだという気もする。そうじゃなくてもっと圧倒的なパワーで全てをぶち壊せないからダメなんじゃないのか。いやそれはそういことなのかもしれないが……。しかし日々食っていけるだけの労働をしますで留まっているようでは本当にそれで……? と思ってしまう。それは思考を停止するだけじゃないのか。幸福と意味は仲が悪いのかもしれない。ただと自分の不幸が全体の幸福に繋がっていると説かれるだけでは説得力がなくて、それを信じられるような流れが必要なのかな。