日記

日記です

20190611

 自分が死ねば世界中の人間が救われるという状況を考える。もしそのような状況にあることを世界中の人が知っていればどうしても自然に「お前が死ねば良い」という雰囲気が醸成されると思うし、そうなれば特別それに強く反発する気も起きない。できれば痛くない殺し方にしてもらえればなぁと思うがそれくらいだろう。

 一方でそのような状況であることを自分だけが知っている場合に、それでは自殺するかというとそんなことはないだろうと思う。世界がめちゃくちゃになるのはそれはそれで見てみたいものであるし、自ら進んで死ぬことはないな。

 結局主体性がないということに尽きる。たとえばある日家に帰ってみるとベッドの横にギロチンがセットされているとする。世界がどうのこうのなんて関係なく、そういう流れが存在していたらそれに身を任せてしまいそうだ。

 もっと身近な例で考えると、正面から走ってきた人に財布をひったくられたとして、それを追いかけられるかということ。自分の行動で事態を好転させていこうというモチベーションはどこに転がっているのか。幸運を待つことしかできない。

 今日もまた無能だった。集中力がない。明日もまた無能なのだろう。厳しい。