日記

日記です

20190601

 今日は研究室に行かずずっと家でゴロゴロしていた。こういうとき本を読もう(ゲームをしよう)という気分にすらならなくて、半分寝ながら動画とかプロ野球観て過ごすだけということになる。強い楽しさはないが(体力、経済的な意味で)コストがかからないのである意味では合理的な行動なんだろう。しかしある目線からすれば誤謬に陥っているとも言えそうで、それを見方が違うだけと切り捨てていいものかわからない。

 そういえば以前、幸福の感じ方に何かしらの関数がかかっているみたいな話をしたけれど、それはプロスペクト理論というのと関係がありそうだなと少し調べていて思った。心理学について調べることも有用かもしれないが、結局何を基準に理論を選択するのかという根源的な選択部分は解決できるのだろうか。「幸福になりたいなら幸福になることに固執するべきではない」という理論を得た(学んだ)として、もともとの幸福になりたいという部分の選択がどうであるのかみたいな疑問だと思うんだけど、いまいちまとまらない。「こう生きると良い」というその「良い」がなんなのかを巡ることができるんだろうか。