日記

日記です

20190304

 新B4に向けたプログラミング課題1回目。人々がどの程度知識を持っているのかよくわからなくて準備も不足していて申し訳なさ。わりと自分が便利だと思うもの押し付け人間になりがち。

 その後は論文をちゃんと書き始める。フォーマットを変えるだけでわりと大変な気がするし、Wordよりtexの方が手間少ないなんてこともないんじゃないかと思う。ただGitによるバージョン管理と相性が良いというのは良いかもしれないけど、じゃあGit以前だとどうだったんだろうという気もするし、別に個人でやる分くらいならWordで名前にバージョン打って管理するのでも困らないかも。気持ちの問題でしかないかなぁ。

プロットマスター

 プロットマスターという造語についての話

プロットマスターを造形するコツは、その作品における問題意識を擬人化させることです。作者がその作品で最も届けたい「声」と言い換えてもいいかもしれません。というのも、プロットマスターの動きはクライマックスという大舞台で明らかになるからです。

 本当にそうなんですよね。そうなんですよ。物語はプロットマスターのためにあるんです。

 でもこうなるとわりと作者の意図肯定派的になってしまわないか? いや作者の意図の存在を否定しなきゃいけない意味もないんだけど。いや否定しなきゃ「ただ一つの正しい解釈がある」という立場になってしまうのかな? それは嫌な気がする。

 解釈もバトるしかなくない? という気持ちにもなる。面白解釈バトルなんですよ。本を読んでより面白い解釈をできた方が勝ち。ここでは作者の意図も解釈の一つとして相対化されて面白尺度によって測られて数値が低ければ見向きもされないものとなる。

 まぁ実際には作者の意図というのが有力な解釈になることが多いんだろうけど。そんな感じの立場を目指したい。つまりテクストは必ず読み方とセットになる的な。それは作者死んでるの?

その他

 身体に漫然とした希死念慮がまとわりついていて、これを剥がさない限り幸せにはなれそうにないなぁと思う。何かに集中していたりするときは忘れられているんだけど、ベースの状態はやはりこちらなんじゃないか。頑張って目を逸らすのだ。

 あー、ダメ。やるべきことができません。身体に力が入りません。ダメです。