日記

日記です

20190225

 PERのバグを取り切って動かし始めた。パッと見は悪くなさそうな挙動だが。

 研究室でも学習待ちという名目で本読んでる時間が長くなっている。ちょっとは論文を読んだらどうなんだい。

 帰ってからはKH3。裏ボスも倒してあとやるならトロフィーコンプリート。84%というなんとも微妙なところで、数字上は行けそうな気がするけどダルいのが1個残ってたらもう駄目だしなぁ。まぁでもやるか……。この作業何が楽しいんでしょうかね。僕もわからない。

火蛾 (講談社ノベルス)

火蛾 (講談社ノベルス)

 相変わらずメフィスト賞読んでんのかよって感じだけど、これは面白かった。謎解きが話の根幹に関わるという僕が好きなタイプの作品。宗教、特にこの作品で扱われるイスラム教とかについては全然詳しくないんだけど作中で十分に解説がされているので特に困るということはなかった。構成も文体も質が高い。もっと早くに名前を聞いていてもおかしくないくらいの傑作だと思うけど、著者が(少なくともこの名前では)これ以外の作品を著していないのが影響しているのかな。

 作品の内容とどこまで関係するかわからないけど、以下は宗教の話。僕は自分を含め信仰を持たないまま生きていける人間の気持ちがよくわからないんですよね。そういう人たちは何を心の支えに生きているんだろうか。日々の楽しさ? それは結構なことだ。ならば今が楽しい人は除外して、「楽しくもないが信仰を持たない人」がどうやって生きているのかということ。

 楽しく無さ、現実に対する不満、虚無感ゆえに、それ以外の道を探さなければならないという意識になる。いくらかの宗教において戒律が大変に厳しいのも少し気持ちがわかってしまうような気がする。どれだけ貧しく世俗的な欲求から離れた生活だとしても、全くの虚無よりは遥かに良い。修行それ自体に僕は意味を見いだせるとは思えないんだけど、たとえば学問を修めていくということならどうか。修行者も同じ気持ちなのかな。目標に達することというかその過程自体が目標となるような。

 「科学と宗教って同じだ」などという言説は正直好きではないし、細部を無視したこじつけだと思うところもあるけど、僕の科学に対する態度それ自体は信仰に近いのかもしれないと思うことはある。能力的な話として僕自身が科学を進める、貢献することなんてほとんどできないわけだから、科学が人類を幸福にするとしても僕自身が科学をやる理由にはならないはずなんだ。しかしやっている。それをやっていけば何かしらが開かれるという感覚。イメージとしては修行を含む宗教に近くて、それはこの作品で描かれるものと部分的に一致するような気もする。宗教関係についてあまり雑な言及はしたくないけど。

 実際のところ科学というか学問をやっていれば現実的に飯の種になりそうというのも大きいとは思う。宗教をやっていてもあまり稼げる気はしないが、機械学習とプログラミングをやっていればなんだかんだ就職はできるだろうという話。そういう目先のことばかり考えているから信仰ないままに生きるということになってしまっているのかもしれないけど。そんな生き方をしているうち科学を信仰と取り違えて生活すら破綻してしまうというのは、嫌な想像ですね。