日記

日記です

20190106

 午前中は動画サイトを観ていたらいつの間にか終わっていた。やはり日曜日だとどこか休日だという油断があり、こういう過ごし方をしてしまう。

 家に食料を置かない作戦を継続中なので昼から外出。これやっていると災害とか起きたら餓死してしまうなぁとは思うけど、毎日外出する強制力が生じるメリットは非常に大きいからしょうがない。災害が起きたらすべてを諦めましょう。

 研究室では論文を読んだ。今はPrioritized Experience Replay、あるいはこれの分散型のApe-Xが気になっている。学習データに優先順序を付けるのは感覚的に筋が良い方針だと思う。しかしApe-Xの性能の上がり方はすごすぎて少し怪しいくらいだなぁ。

 逆にDouble-DQNはあまり……と思ってしまうんだけど性能は良いらしいし使っている論文が多い。ううむ、探索使える分野ならあまり気にする必要がなさそうにも思えるが、気にしておくべきか。

 夜は競技プログラミング。典型DPばかりが出るコンテストで気持ちよく解くことができた。これぐらいのDPならサラッと書けるようになっているのだなぁ。明日もあるので途中で離脱。流石に25時までは付き合ってられないぜ。

後輩

 後輩が怖い。正確に言うと後輩という存在ができたときに僕がどういう態度を取るのかが恐ろしい。たとえば後輩が何かスライドの添削を頼んできたとして、そのスライドにページ番号が付いていなかったら僕としてはそもそも読む気が出ずその場でその資料を破きたい気分になるだろうなということを考える。自分が気に入るフォーマットに沿っていない時点でその他一切の評価をしないというのは完全にパワハラ的所作だ。実際にそういう動作をやるかどうかは置いておくとして、そういう気持ちが自分の中にはある。

 慣習に染まるというのは恐ろしいもので、合理性のないものでも自然にやっていると疑いがなくなってしまうと思う。ページ番号はスライドの不備を指摘するときに便利なので合理性はあると思うけど、しかしなくても数秒手間取るだけで済むといえば済む。それを押し付けられることが不満だと言われればそれ以上突っ込むことはできない気がするし、そういう合理性の追求を一つ一つ慎重にやっていかないといけないわけだ。これを今までできているとは思えないし、できていないならば自分で合理性を確認していないものを下の世代へ無批判に受け継いでいくだけの存在になってしまう。それは大変恐ろしいことだ。

 まだほとんど話したことない人間との対話を想定して怖くなる人種です。

その他

 効率的な生き方を目指す必要もないのかなと感じ始めてしまっている。上を目指すのでなければ効率的な行動をする意味はないし、むしろ伸びしろはゆっくり埋めていった方が良いということすらあるかもしれない。大抵のことは成長を感じているうちは楽しくやれるわけで、さっさと成長しきってしまうとその後が辛い。成長が目的ではなく手段であるならこれは本末転倒なわけですが……。

 技術力(?)を高めてなにかしたいことがあるか。特にその先のビジョンが見えているわけでもなく。動機が生存によって汚染されているという感覚がある。存在者は純粋になれない? そんな……。