研究
Eloレートが正確に測れない問題が険しい。そこが信用できないと何も信用できないなぁ。
論文が本当に読めない。机の左脇にどんどん溜まっていく。
自分の研究の話をどこまでTwitterとかでして良いのかわからないけど、正直論文書くよりもブログ記事書きたいなーと思ってしまう。論文としてまとめることが後々参照するにあたって重要だというのはそうだろうけど、途中過程を隠さなきゃいけない(と僕が勝手に思っているだけ?)のは個人的にもストレスだし、もし意義深い研究をしていたときにそれが秘匿された状態で進行するのは全体としても効率が悪い気がするなぁ。
実家の太さ
特別裕福な家に生まれたとも思っていないんだけど、高校から私立、一浪して(予備校含む)、私立理系の大学、下宿、仕送りもあり、大学院にも行く。数え役満ですか? ここまで僕自身は一切アルバイトとかしていないわけで、まぁこれは恵まれている方なのではないかと最近ちょっと感じ始めている。だからといってどうということはないんだけど。
しかしここまで(少なくともお金を)つぎ込んだ結果、「子供が自殺して終わり」ではひどい話だよなぁと思う。唯我論的世界観で生きたいものの、そこまで割り切れているわけでもないからそうした部分が絆しになったりもするのだろう。
絆しという言葉は好きだな。間の抜けた音が真綿のような緩い圧迫感を想起させる。実際にそういうニュアンスが含まれるものなのかは知らないけど。
まぁ結局は多少の絆しがあろうとなかろうと、自殺の決断はそのコストとの兼ね合いという面が大きいのではないかと思う。ボタン一つで安らかに死ねるならば、月に一度くらいは勢いで押してしまう気分の時がある。
その他
何か本質的に救われる可能性を感じるのは本なんだけど、今日もまた本に手が伸びることはない。きっと救われたいわけじゃないんでしょうね。