日記

日記です

1013

 昨日は日記を書いた後もいろいろ考えていた。自分の行動や感情について、湯船に浸かりながら考えていた。そして悲しくなって泣いてしまった。お湯が冷たくなるまで泣いていた。

 他人の振る舞いが馴れ合いに見えるのは、自分の中にそういう気持ちがあるからなんだろう。馴れ合いを拒否するなら徹底的に貫くべきだった。中途半端にフリだけして結局はメッセージを送るだなんて、とても卑怯で不誠実なやり方だと思う。まずこれが悲しかった。

 あとは根本的にこんな態度になってしまった原因を考えていた。今更な話だけど、僕は大学受験で上手くいかなかったことでかなり深く傷ついたんだろう。さらに言えば「たかが大学受験でダメだった程度のことで傷ついた」こと自体にも傷ついた。どうでもいいと思っていたことに適当な努力で向かい、そして失敗した。それに傷つくのはひどく無様で滑稽だ。勉強を大事なものだと考えて適切に努力し、その結果届かなくて傷つくのとは全く違う。

 結局、高校生の頃の自分を支えていたのは「学歴」という外的なものだったのだろう。僕はそれに気づいていなかった。目を逸らしていたのかもしれない。学校が、周りの人たちがすごいだけで、そこに通う自分がすごくなったわけではないと、何度も言われていたはずなのに。

 だから大学の3年間は、自分自身がすごくなろうと思って過ごしてきた。でもそう簡単な話ではなかった。やはり僕はどこまでも甘くて、どうしようもなく弱いままだった。それは本当に悲しいことだ。

 端的に言ってしまえば、理想と実力のギャップに苦しんできた。そしてこのギャップを埋めるため、理想は下げて実力を上げるということを3年間やってきた。実際には実力の上がり方は本当に少しずつで、だから大半は理想を下げること、つまり自分はこんなもんだなって受け入れる時間だった。

 3年かけることでギャップが埋まったかというとそんなことはなくて、今多少精神が安定しているのは研究室に配属されて定期的に人と会話する機会があるからという、本当にそれだけの理由だと思う。別に仲良いわけではなくとも、定期的に人と会うとなると強制的に精神が安定してしまう。ずっと一人でいられたならずっと悩むことができただろうに。結局、自分のことについてあれこれ悩むのは、本当に楽しいことなんだ。