日記

日記です

0719

 5時くらいに目が覚めて全然二度寝ができなかった。ご飯を食べて大学に行く準備をしたところで眠くなってきたので寝たら11時になっていた。そこから大学へ行って離散凸解析の講義を受けたり可視化の講義を受けたり。

 春学期の講義はこれでおしまい。4つ受講していたわけだけど学んだことが一切ない気がする。院に行ってまで講義受けさせるのはあまり全体の幸福に寄与していない気がするんだけどなぁ。

 秋学期は講義がないのでしばらくそういうのとは縁がなくなる。まずはレポートをやって、そこから研究とかやっていきましょう。しかし研究よりコンピュータ将棋とか競技プログラミングの方が好きそうなんですよね。あまりその気はなかったけど、もっと研究をコンピュータ将棋の方に寄せていこうかなぁ。

1年前の日記

 課題に追われてつらそうな感じが出ている。体調が悪いらしいが、精神的な影響もあるのではないかという気がする。締め切りってものが本当に嫌いなんですよね。

ブログ

 好きなブログが2つほどあって、今日は長いことそれらを眺めていた。hatenablog相手に通知を飛ばしたくないので好きな部分を無断転載をする(邪悪)。

三角関数などからサンプリングした点をモデルで補完して、ほらパラメタが多いとオーバーフィットしましたね、みたいなことを言う解説がたまにあるけれど、あれは嘘っぱちで、ただ人間から見るとその点は三角関数に見えるという話に過ぎない。人間は、人間(あるいは自然)に近い仕方で点を内挿するモデルを評価するが、そのモデルはべつに正しいわけではない。醜いアヒルの子の定理。

 数字がいくつか並べられて、さて次に続く数字は何でしょう? という話と同じだと思っていて、法則性なんてものは当てはめようと思えばなんでも当てはめられるはずなのに僕らはなぜか簡単な? シンプルな? 構造を考えてしまう。どこまでいっても具体例のみから背後の法則自体を明らかにすることはできなくて、仮説を積み重ねていくことしかできないわけだけど、採用されやすい仮説の傾向というものがあって僕らはそれを「シンプル」とか呼称したりするわけだ。

 もう一つの方

来世についてひさびさに思いを巡らせた。自分が死んだあと、〈この〉意識が別の肉体に「再利用」される、という素朴な世界観。そういう再利用が過去にも無限回あり未来にも無限回あり(あるいは過去も未来もなく)、そのたびごとにすべてを忘れ去っている。それはあまりにも単純な地獄の構成。

 とか

僕が祈るとき、それは通じる理路を仮定せずに祈っているのだろうと思う。願いはそうではない。

 とか

死にたいけど死なない人のお話。その人はずっと死にたくて、日常のとても些細なことがらにも死にたさの気配を感じとってしまうような人で、だけど生活という流れの勢いはそれを掻き消すのに十分で、だから死にたさを抱えながらも死なずに生きていて、だけどいずれ死んでしまうだろうなと考えていて、どうせ死にはしないさとも思っている。そういうお話。

 こういう益体もないことを考えながら生きていきたい。

 ふにゃふにゃとひっそりブログをやっている人が好き。真似事である。

百合怪文書

 

 百合、別にそんな好きじゃないし、なんなら百合ファンが多少気持ち悪くてアレだなくらいには思ってしまうのですが、ここまで振り切れた百合好きとなるとそれはそれで見てて面白い。

宮澤 とにかく恐ろしい沼なので……語る人間が解像度を上げなければ……。

 意味が分からな過ぎて笑ってしまう。

——解釈の問題もある気がします。

宮澤 僕の頭がおかしいということですか?

 まぁしかし、こういうタイプの百合オタクをどこまで好きになれるかというと。

その他

 そうなんだ(プログラマってこういうことがわかるものなの?)。

 いやぁ全然鍛錬が足りませんね。もっと気合入れてけ。