大学
課題に対するやる気が本当に出ない。厳しい。
将棋ソフト開発
Bitboardで利きを持てば楽じゃーんと思う→飛び利きの重複を上手く処理できないことに実装してから気づいて爆死
正確な合法性判定を遅延させるの頭いい!→僕の実装ではむしろ遅くなる
強化学習→なぜか弱くなるまま
厳しい。
競技プログラミング
CODE FESTIVAL 2016予選BのA問題を解いた。昨日寝るのが遅かったので100点問題で延命。厳しい。
その他
今日は厳しい一日だった。やらなくてはならない課題があるのにやる気が出ないという状況に置かれると他のことをやることもできず時間だけがただ過ぎていく。
輪講というスタイル、あまり得意ではなさそうな直感があって良くない。一人で勝手にもくもくと勉強していきたいと思ってしまう。発表する日が決まっていてそれまでに資料を明確に作る(つまり理解を必要なレベルにもっていく)という作業が苦手だろう。試験とかでも同じだけど、締切というものがあるとすぐ精神が死んでしまう。制限時間なしで着実に勉強していきたい。
そんなこと言っていてもやるしかないのだ。厳しい。
ゲーム
PS4を買うかなぁなどと一瞬迷ったけれどどうせ買うならproがいいし、PSVRも欲しい気がするし、SSD換装もしたいなぁとか考えたらわりとすごい値段になったので尻込みした。そもそもAmazonには在庫がないということもある。
払う分だけ楽しめる自信は全くなく、30分触ったら飽きるのではないかという気もする。ここ数年ずっとそんな感じで生きている。なんとなく気分が晴れず、大きくお金を使うこともできず、本を読んだりプログラミングしたり。これでいいのだろうかと思うことはあるけれど、ダメなことを確認してしまうのは悲しい。少なくとも修士課程には進むつもりだし、現実的に今後お金はどれだけあっても困らないことを考えるとあまり余計なことに散財してしまうのもなぁと。
まぁ一方で娯楽にちゃんとお金を使わないと精神がやせ細っていくばかりになり、まさに今そうなのではないかとかいう声も聞こえる(自分の中から)。わからない。僕は何もわからない。
文体
僕の書く文章は「~と思う」「~な気がする」という終わることが多いと思う。とにかく最近(ここ数年)は「なにもわからない」という気持ちが強く、何かを断言するという行為自体が苦手になってきている。Twitterとかではわりといろいろ断言する人が人気になりやすい気がしていて厳しい空間だなと思う。
根本的に自信が欠如しているんだろうなぁという感覚がある。もう4年生になろうというのにあれだけど、結局大学受験のときに僕の自信という自信はその一切を打ち砕かれてしまったのだろう。そのまま3年が経った。過大な自尊心だったと、今では思う。
結局それを上手く言葉にしないままやってきてしまったのが良くなかったのではないか。つまり他人との関わりを断つような生活をしてきたことが。しかし当時の精神状態ではそれ以外のことはできなかったとも思う。結局僕の能力不足ということなんですよね。講義にはちゃんと出席していただけでも頑張った方だなと。
その他2
課題に対するやる気が本当にでず、このくだらない文章だけが長くなっていく。「神様、僕は気づいてしまった」の『だから僕は不幸に縋っていました』をずっとリピートしている。Twitterで音楽の話をしてもあまりウケが良くない気がする。Twitterでウケることを目指すのか?
昨日の牧野-中尾戦は面白かった。それで寝たのが3時とかになってしまったのだった。これは邪悪なんだろうか。よくわからない。最近プロスポーツの観戦という、僕の子供のころからの趣味といっていいものにすら邪悪性があるのではないかと感じ始めている。邪悪でないこととは?
「幸せになりたい」はほとんどトートロジーだと思う。どうやれば幸せになれるか考えなくてはならない。
- 作者: 江野スミ
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読んだ。面白かった。