0826

将棋

観戦

 豊島八段が叡王戦2局目ですごい勝ち方をしていた。強いっていうか、まぁ前例をほとんどなぞっているだけだから、そのなぞるときの割り切り方に信念を感じるという言い方が適切か。

将棋ソフト

 並列化を目指してめちゃくちゃ書いた。もうちょっとお勉強が足りない感じがするけど……。

競技プログラミング

 AGC019に出た。出来はいまいちだったけど、レートは微増したのでいいかぁ。

その他

 今朝見た夢は、佐藤名人が講演しているのを聴くみたいな感じで、将棋の話から数学の話になり、チェバの定理が出てきて、えーっ! それが繋がってくるんだー!って興奮した覚えがある。まぁおそらく内容は僕が勝手に作り上げたでたらめなわけだけど、実際に夢の中で自分にはなかった発想っていうのが出てくるもんなんだなぁ。偉人の逸話に「夢で思いついた」っていうのがいくらかあるように思えるけど、すべてが全くの作り話というわけでもないのかなという気がする。

デレステ

 イベントのコミュを全部見終わった。うーん、やっぱり苦手だった、それに尽きる。キャラクターの心情の動きに納得するだけの描写、出来事がないように感じられるし、ひたすら言葉が上滑りしている感覚に苛まれる。やっぱりコミュで変化を描こうとするの無理があるのでは……。といっても無理をやらねば同じパターンばかりになるというのも当然の話なので、各人で気に入らなかったらスルーするしかないのかなぁ。

 一つの作品内で、気に入らない描写があったときにそれを無視していいのかっていうのはちょっと考えたい問題だと思う。これはつまり本当にそのキャラクター自身を好きなのか、そうではなくてそのキャラクターが持つ属性、設定が好きなだけなのか、ということにも繋がるか。もちろん後者がダメな立場だというつもりは全くなくて、むしろオタクとして新しいステージなのではないかとすら思っている。キャラクターを人間のようにしか愛せないなんて古い価値観に囚われすぎでは。

 とくに二次創作界隈とかって、やっぱり元の作品にファンが多いことっていうのも重要な要素だと思うから、「より自分の好みにマッチしているマイナー作品のキャラクター」よりも「一部の属性、設定が気に入っている有名作品のキャラクター」を利用して二次創作する場合っていうのもあるんじゃないかと思っていて、それは責められるべきことなんだろうかと考える。おそらく二次創作には愛が必要だという主張はある程度成り立つと思うんだけど、愛とは、いったいどのような単位(作品、キャラクター、属性)へ向けられるべきなのかがわからない。すべての要素が好ましい作品はおそらく存在しない気がするし、キャラクターもそうだと思う。しかし属性に目を向ければ理想郷が待っているのかもしれない。それはやっぱりいいことなんじゃないか?

 愛の純度を高めるたいならば、愛の対象を分解して小さくしていくべきなんじゃないか。作品は、キャラクターはデカすぎる。

 デレマスの話に戻ると、まだ生きている(更新が続く)作品だから、たとえ今の描写をすべて受け入れられていても今後ダメな描写が混ざる可能性もあるわけで、扱いが難しい。文句がたらたら出てくるようならば離れるべきなのかもしれない。

 まぁしかしイベント曲のMaster譜面は楽しい。特にサビ部分のフリックは好きだし、最近こういうフリックの使い方多い気がしていて良い。なんだかんだ音ゲー部分を楽しめているからここまで続いているというのは大きいし、曲の良さを引き立たせてくれる譜面があるとまだまだこのままやっていこうという気になる。

 音ゲー部分、楽しいけど腕の方はちょっと落ちてきている気がする。フェス限前川みくを引いてスキルブーストと判定強化の壊れ性能に甘えてしまうようになったとか、ミリシタもやっているのであの判定の甘さに慣れてしまったとか、そんな理由だろうか。あとは未フルコン曲が共鳴世界の存在論だけになって、これはどうしてもできない部分があるタイプの曲だからフルコンできる気がせず、フルコンするぞ! という緊張感をもって曲に挑むことがなくなってしまったのも原因だろうなぁ。だらだらとやるだけなのでミスが出ても気にしない。

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