日記

日記です

20190313

 輪講、何日目だか忘れた。相変わらず僕と先輩一名が話すだけの会になっている。ボルツマンマシンについてやって、やっと生成モデル的なものの感触がわかってきた。これは結構面白い考え方だなぁと思うし、見通しが良さそうな気がするんだけど実際に計算をやっていくのは大変かもしれない。こういうのをトイモデルの中で検証していくのが大学の研究らしい研究だとも思うが。テーマに詰まったらこっちもありだなぁ。

 その後は論文を読んだりちょっと実装したり。論文読むの本当に苦手だな。全然捗らない。実装の方はTwitterにも書いたけど、スキップコネクションをすっ飛ばしていたという頭おかしいバグを発見できたので非常に良かった。帰る直前に発見して帰り道ウキウキだったしそのノリでTwitterもしっかりやったので今日は良い日でしょう。

 あまり成果を出すことについて焦りすぎない方が良いかなぁと思い直す。別に何が起こるということもないのだったらさっさと成果を出す意味もない。こう思えないのは諦めが足りないからなんですよね。もっとしっかり心の底から諦めないと。

その他

 日記が楽しかったことで埋まると良いね。

20190312

 わりと悲しくなっているのはこの3月で確実に同期の人たちと仲良くなれなさそうだなというのが決定的になってきた感じがあるからなのかもしれないなぁと思っている。相手が悪いわけではなくて僕の方の性格が歪んでしまっているという話なのだけど。浪人~大学3年まで一人で過ごしていたツケは大きくて、そうはいっても3年間関わることになる同期とは友好的にやれるだろうと思っていたら1年間がぶっ飛んでいた。

 しかし幸福度が彼らより高いとはさっぱり思えなくて、この性格で仕方がないと開き直る気にもなれない。生き方を致命的に間違えているという感覚がある。夕方頃、自分があまり良くないなと思っている感情が湧いてきてしまった本当に困った。まぁでもやはり悩むべきはこういう「人と仲良くできない」とかそういった次元の話にしておけということですね。願い方も悩み方も間違えてはいけない。

アイドルマスターシャイニーカラーズ

 というわけでここ数日シャニマスばかりやっています。特にめちゃくちゃ楽しいとか思っているわけでもないけど、こういうとりあえずやる枠が一つは欲しいときはあり、スマートフォン買い替えない限り音ゲーはできないのでこういうことになる。

 相変わらず仕様がよくわからないまま適当にやっているけどとりあえず一つのステが(初期上限で)カンストくらいまでは安定するようになってきた。しかしこれでも準決勝すら勝てないぞ。難易度どうなっているんだこのゲーム。負けるとわかっている大会に突っ込ませるの悲しいものがあるね。

 ライブ中の音楽が気になってアンティーカの曲を買った。声の聞き分けができない。バベルシティ・グレスのギターこれやっとけば好きなんでしょみたいなそれを感じるしまぁ好きですよね。ソロという意味では幻惑SILHOUETTEも同じなんですけど。

 どっちもバスドラが手数多いし、もっと低音デカくてもよかったのにな。ライブの「耳壊れてんのか」ってくらいドラムが馬鹿音量になる環境で聴いたらそれはまたすごそうですね。アイドル系のライブでもそういうものなのかは知らないけど。というか僕が知ってるのは学生のそういうやつでしかないのでそれはそういうものだからデカかっただけなのか。

 もう一つのイヤホンで聴いたら多少は低音大きくなった……? わからん。どっちが音質良いとかもわからん。これは伏線です。

20190311

 たとえばある日精神科に行って、tokumini(本名としての自分)と「わたし」が一致しないんですということを相談したとする。すると医者は「そういう人はそれなりによくいるんですよ。その症状には特効薬があって、この薬を飲めば一致します」と言い始める。渡された薬をお前は飲むか? これはそういう問題なんだ。

 何を見て「わたし」であるかないかを判断するつもりなんだ。そんなこと絶対許さないぞ。しかし外部から観測できない神秘性を「わたし」に与えてしまうのしまうのか? そんなことがあっていいのか……。

 この話をわかるだなんて言わせないぞ。「わたし」から見て「わたし」以外の「わたし」的存在は一切ないのでこの世は完全に孤独です。孤独な世界が人数分。なんてひどい話なんだ。こんな絶対的なディスコミュニケーションを超えて僕らはどこかに行けるのだろうか。

 やめろやめろ自分の悩みを何か高度なものの中に見つけようとするな。そーゆーのをこじらせてるって言うんだ。もっと実世界レベルにおける下らない悩みだろうに。まるで理論的な、重大事であるかのような態度を取るな。

 醜悪の一言に尽きるね。考える気もない人間が権威的な何かを求めて学問に縋ろうとするのは。二度と呼吸しないで欲しい。

20190310

 心身二元論が心と身の境界をどこに引いたのかは知らないが、この境界は拡大していっているのではないかと思う。身体の方から見て。

 身体の勢力が拡大し続けた先に唯物論としての統一を果たすというのは幻想にすぎないのだろうか。たとえば感情のごく低レイヤのものについてはもはや身体の一部であるというような印象を受ける。一方で高度な感情、自由意志となると今のところは心の領域にあるものだと思われる。この区切りはどこに?

 なんとなく、自由意志も科学の発達によって身体の方へ回収されるのだろうという予感がある。最終的に区切りは「わたし」とそれ以外になるのではないか。tokuminiなる人物(あるいは本名で指示される人物)が喜ぶ怒る哀しむ楽しむ、それが「わたし」の喜怒哀楽と一致することは唯物論に回収できるのかまだ自信が持てていない。

 というか、そもそもそれらは一致しているのか。当事者意識の欠如。tokuminiが嬉しかったり楽しかったり悲しかったりそういう状況はいろいろあるのだろうけど、結局それが「わたし」にとっていったいなんだというのでしょう。tokuminiが拷問を受けた末に苦しんで死のうが、宝くじで5兆円当てようが、薬物中毒によっておかしくなってしまおうが、それが本当に「わたし」に関係ある話なのか。勝手にしていろよ、という気持ちにもなる。

 ハーモニーで気にくわない点があるとすればこの「わたし」を表すのに意識という言葉を簡単に使っているように見えるところだ。意識といってもこれはたとえば昏睡状態の人を指して「この人には意識がない」というその意識とは違うものであって、それを本当に意識という言葉で指し示すのが適切なのかわからない。

 この意識を外部から観測することはできるのだろうか。僕はいつも今この瞬間から「わたし」という感覚が消えることだってあり得ると考えている。tokuminiが今と同じような振る舞いを全て保っていながら「わたし」ではないということが本当にあり得ると思うんだよ。

 昔はちゃんと「わたし」とtokuminiが一致していたと思う。どこからかズレてきてしまって、今に至る。別に常に乖離しているというわけでもないのだけれど、これを完全に一致させることが強い幸福感を取り戻すための秘訣なのではないか。そう言われても方法なんてわからないが。

 ある種の現実逃避なのだろうとも思えるところはあって、現実を改善すれば一致するのではないかとも思っていたけど、もう4年経ったぜ。この方針に希望はあるか。

 わからない。何もわからないという感覚だけが強い。これを悩んでいるのはtokumini? 「わたし」?

20190309

 研究室に行ったけどなんかキーボードの掃除とかして時間を費やすだけだった。明後日のスライド作らなきゃいけないのに。何もかもダメ。

 実装もわからない。どこがダメなのか。ひどい。

 帰りにコンビニで夕食買おうとしているとき寿司が目に留まって何もかもダメじゃんという気分になり泣き出しそうになってしまった。よくわからないけどダメさの象徴的な偏見がある。流石にコンビニ内で泣き出す人間にはなりたくなかったので我慢した。

 競技プログラミングをやったら多少は元気出てきた。競技プログラミング界隈の軽薄さを1週間に1回くらいは浴びるのでなんとか精神を保っているようなところはあるな。

就活

 研究室でC++について調べていたとき、フィックスターズの記事が引っかかって、なんか見たことある会社だなと思ったら競プロとかで見かけた会社だということを思い出してもうそこから就活をしなければならないんだという精神に支配されてしばらく終わっていた。

 渋々ちょっと調べたけど、フロムソフトウェアの初任給が少ないことしかわからなかった。

 帰ったらこんな記事も見かけるし。(通知飛ばしたくないけどこれで回避できるのかしらん)

ttp://ratea.hatenablog.com/entry/2019/03/09/003637

 これだけ行動できている時点で「え、強くない?」という気分になってしまうんだけど僕もこれをしなければならないとは思うしこれができないとダメじゃんというのもそれはそうでダメなのは悪いことなのだとは思う。

 働きたくないという強い気持ちすらないんだよな。強い気持ちがない。気持ちがない。何もない。

 それはそうと生きるの下手的な集団にすり寄る気にもなれなくて、もともと僕はそれなりにどんな状況でも楽しく生きられる精神の持ち主だったわけですね。ただどんな状況でも楽しいこととどんな状況でも楽しくないことの距離が近いというのが最近の話であるだけで。なんかの拍子にまたヘラヘラした人間に戻れるんじゃないかとは思っているし、そうなるのはある種の裏切りっぽくもあると思っているので人と関わらないという方向になっているわけですが、実は戻れないかもしれない可能性もあり。

その他

 昨日の日記、日付が間違っていた。いつかそれやってしまうとは思っていたんだけど、やっぱり実際に起こると悲しい。完璧は起こらないとは知っていてもね。願望じゃん。

 軽薄な人間を目指すぞ。結局つらめなよなよ人間か軽薄人間かの間をさまよう感じになりそうだが。(それ最悪では)

20190308

 輪講四日目。部屋が取れなかったので研究室でやったけど、研究室でやるとどうしても少しダレた雰囲気になってしまう気がする。気のせいか?

 その後はAWSに登録して無料枠でちょっと遊んでみた。nginxを初めて入れてみてなるほどなーって感じ。とりあえず本当に簡単なhtmlファイルを作って外部からhttpでアクセスするというところまではやってみた。セキュリティの知識がなくて少し怖いけど、まぁまだ変なことはやってない、はず。

 帰ってからはまずシャニマスを少し。今朝「風野灯織と餃子ってどういう関係なんだろう」と検索してしまった流れで、アンティーカイベントをやっているとのことだったので。W.I.N.G.出場がギリギリでまだまだ優勝は見えてこない。しかし三峰結華さん、やはりこれは良いキャラクターですよ。5,6年前ならもっと絶賛していた気がするということを考え出してしまうとアッてなってしまうが。

 その後はICEYを少し。PS4コントローラでやってみたがアクションはそれなりに難しいな。オペレータの声が良い。

その他

  • いろいろ遊び倒した感じの一日だった。論文も実装も進んでいない。メモリリークはどうも自己対局部っぽいなぁということはわかってきたが。
  • もう一度人と仲良くすることに意義を感じられるようになるか。というかそこに疑問を持たない状態になれるかということで、疑問を持ってしまった状態から持たない状態へ戻るというのはなかなか難しいので意義があると確信する方が早いかもしれないという気持ち。
  • 楽しさの問題というよりは楽しいから何? という問題かもしれないし支払うコストとの兼ね合いの問題なのかもしれない。なんもわからない。あまり何も考えたくない。心が弱っている。

20190307

 輪講3日目。慣れてきたのか新B4の作る資料が手抜きになっているようにも思える。そして僕は相変わらず教えるのではなく自分の知りたいことを質問するだけ。なんだこの会は。うーん、正常ではない。

 午後は研究室のパソコンをいじり倒して計算用パソコンを3台生やした。2080ti一台と、1080二枚刺しを二台。Ubuntu導入手順を書いたのをブログに上げたのはこれのため。もともとEvernoteに書いていたんだけど、ログインしなきゃ見れず、共用パソコンから自分のEvernoteにログインするのがなんか嫌だったので。でもよく考えたらこれシェルスクリプトかなんかにまとめてしまった方がもっと良いんだろうなぁ。こうやって書き出すのはなんとも拙い感じが出てしまっているような……。無駄にvim導入しているのもあれだし。来世ではちゃんとやります。

 しかし指に傷をこさえながら半日かけて得た計算資源がこれっぽちか。AWSの料金表とにらめっこする日々。単純計算すると1回学習を試すのに1万円とかかかりそう。1連回すのに1万円かかるガシャに手を出してはいけない。そういやスマートフォン壊れてからスマートフォンゲーム一切やってないな。自明だが。

その他

  • ICEYを買ったが家の回線はぽんこつなのでダウンロードが終わらない。
  • 久しぶりにストレイテナーを結構聴いた。最近はもう自分の中で一番好きなバンドの座はa crowd of rebellionに奪われているかもしれないが、その前はストレイテナーだった。amarzarashiがトップになったことは一度もないよ。
  • 卒業していくM2の先輩が研究室の自席を整理して帰っていった。もう研究室に来ることもないのだろう。そこまで友好的にしていたわけでもないのに勝手にさみしさを感じる人。
  • TwitterのIDを変えたくて仕方がないがそれをやったら多分おしまいになる。変えた次の日にアカウント消していても不思議ではない。僕に実名アカウントをかっちりやっていくなんてことは無理だったんだ……。
  • 一応去年の12月から一日一ツイート以上はしているというのが絆しになっているが、最近のアリバイ作りのようなツイートもどうなんだとも思う。これが切れた瞬間何もかも終わりそう。
  • bってなんだよ。僕も知りません。
  • うーん希死念慮