日記

日記です

1014

 数日分をまとめて。

 河野裕『汚れた赤を恋と呼ぶんだ』『凶器は壊れた黒の叫び』『夜空の呪いに色はない』を読んだ。

汚れた赤を恋と呼ぶんだ (新潮文庫nex)

汚れた赤を恋と呼ぶんだ (新潮文庫nex)

凶器は壊れた黒の叫び (新潮文庫nex)

凶器は壊れた黒の叫び (新潮文庫nex)

夜空の呪いに色はない (新潮文庫nex)

夜空の呪いに色はない (新潮文庫nex)

 内向的な小説だな。僕はこういうのが好きだというのがよくわかった。しかしサクラダリセット含めてここまで連続して読むとちょっとくどい感じもする。もともと河野裕はちょっとそういうところがあるんだ。まぁ面白いし好きなので、いずれまた読み直すだろう。その時にまた楽しめばいいか。

 キャラクター内部の悩みや考えをストーリーや環境という外部に結びつけてしまい、鮮やかに演出するというのがセカイ系の重要な点だと思っている。河野裕の作品はそういう意味で紛れもなくセカイ系なんだろうし、僕はそういうのが好きなんだ。

 野崎まど『[映]アムリタ』を読んだ。2回目か。

[映]アムリタ (メディアワークス文庫 の 1-1)

[映]アムリタ (メディアワークス文庫 の 1-1)

 野崎まどってこんなポップな文章を書く人だったっけ。もう以前読んだ時のことはほとんど覚えてないわけだけど、ちょっと記憶と印象が違うな。

 内容は読んでる途中にちょっと思いだしたりして、もう少し最後の仕掛けが全体に大きく関わってくるともっと愉快だなという気にもなったりしたけど、まぁ面白い方だと思う。

アニメ

 ユリ熊嵐をちょっと観た。以前、幾原邦彦が好きとか書いたかもしれないけどそうでもないかもしれないと思い始めている。単に漫画とか小説とか原作があるならそっち読むことが多いから、アニメ観るならアニメがオリジナルの話が良いかなというだけの話かもしれない。

 アニメに対する考察ってなんなんだろう。

その他

 読んだことないけど面白そうな本というのはどうやって探せばいいんだろう。あらすじを読むのは本当に好きではない。Amazonの星も全く好きじゃなくてできるだけ視界に入れたくない。しかしそうするとタイトルと表紙と作者しか使える情報がなく、これで選ぶのは大変だ。探索用の僕がもう一人いてそいつが手当たり次第に読んで面白いのだけ教えてくれたらいいんだけど。

1013

 昨日は日記を書いた後もいろいろ考えていた。自分の行動や感情について、湯船に浸かりながら考えていた。そして悲しくなって泣いてしまった。お湯が冷たくなるまで泣いていた。

 他人の振る舞いが馴れ合いに見えるのは、自分の中にそういう気持ちがあるからなんだろう。馴れ合いを拒否するなら徹底的に貫くべきだった。中途半端にフリだけして結局はメッセージを送るだなんて、とても卑怯で不誠実なやり方だと思う。まずこれが悲しかった。

 あとは根本的にこんな態度になってしまった原因を考えていた。今更な話だけど、僕は大学受験で上手くいかなかったことでかなり深く傷ついたんだろう。さらに言えば「たかが大学受験でダメだった程度のことで傷ついた」こと自体にも傷ついた。どうでもいいと思っていたことに適当な努力で向かい、そして失敗した。それに傷つくのはひどく無様で滑稽だ。勉強を大事なものだと考えて適切に努力し、その結果届かなくて傷つくのとは全く違う。

 結局、高校生の頃の自分を支えていたのは「学歴」という外的なものだったのだろう。僕はそれに気づいていなかった。目を逸らしていたのかもしれない。学校が、周りの人たちがすごいだけで、そこに通う自分がすごくなったわけではないと、何度も言われていたはずなのに。

 だから大学の3年間は、自分自身がすごくなろうと思って過ごしてきた。でもそう簡単な話ではなかった。やはり僕はどこまでも甘くて、どうしようもなく弱いままだった。それは本当に悲しいことだ。

 端的に言ってしまえば、理想と実力のギャップに苦しんできた。そしてこのギャップを埋めるため、理想は下げて実力を上げるということを3年間やってきた。実際には実力の上がり方は本当に少しずつで、だから大半は理想を下げること、つまり自分はこんなもんだなって受け入れる時間だった。

 3年かけることでギャップが埋まったかというとそんなことはなくて、今多少精神が安定しているのは研究室に配属されて定期的に人と会話する機会があるからという、本当にそれだけの理由だと思う。別に仲良いわけではなくとも、定期的に人と会うとなると強制的に精神が安定してしまう。ずっと一人でいられたならずっと悩むことができただろうに。結局、自分のことについてあれこれ悩むのは、本当に楽しいことなんだ。

1012

 今日は高校の頃同級生だった人の演劇を観に行った。演劇作品は多くの人から成り立っているものだろうからこの言い方が正確なのかはわからないけど、僕の開発している将棋ソフトの名前の由来である『海底』を作った人だ。

 正直言ってあまりスマートな演劇ではなかったと思う。脚本を3つ繋ぎ合わせて作ったらしく、どこかその歪さが伝わってくるようなところがあった。でもそれで良いのかもしれない。ある意味これは大学の卒業公演だそうだ。僕は彼の高校の卒業公演も観ている。最後明るい締め方にしたのは、彼が成長したことの証なのだろうか。

 彼の演じる作品は怒鳴るシーンが多い気がする。普通の演劇がどういうものか知らないけど、僕の中では演劇とは怒鳴るものになっている。もうちょっと優しい言葉が溢れるようになって欲しいと思うこともあるんだけど、おそらくそうするとひどくつまらないものになるのだろう。そしてきっと、演技として怒鳴るのは心地よい体験なんじゃないかな。

 僕はこの公演の予約をするときに偽名を使った。特に意味はない。強いて言うなら彼に観に行くことを知られたくなかった。「友人だから観に行くのではなく、この人の作品だから観に行くのだ」という理屈を後からくっつけたが、別に披露する機会はない。終了後、ついスマートファンのアプリでメッセージを送ってしまった。小さい劇場だったし僕がいることには気づいているだろうと思ったのだが、そんなことはなかったらしい。こういうところで徹底できないから、僕の理屈は嘘なのである。

 最後に一点だけ。終わった後に観客が演者と話す場が設けられるのが恒例となっているが、僕はそれがあまり好きではない。良い作品であったならば余韻を大事にしたくなるし、あまり面白くないと思った場合には—さすがに終わった直後の演者にそれを言う気にはならないから—嘘をつかなければならなくなる。どちらにしてもあまりハッピーではないと思う。いや、一番好きではないのは、そこに馴れ合いのような雰囲気を感じてしまうからだろうな。

 偽名で予約して隅っこで鑑賞して挨拶もせずにすぐ帰る。僕はそういう客だった。僕は彼に対してそういう態度しか取れない気がする。メッセージさえ送らなければ完璧だったんだけどな。

 僕が一番好きな遊びは「かくれんぼ」なんだろう。帰り道を歩いているとき、そう思った。

1011

 進捗発表スライドを作るというのもあって、根本的に僕はどういう研究がしたいのかなということを考えていた。コンピュータ将棋は、もともと技術力を付けるのにちょうどよい題材に思えたから始めたという面が大きい。探索アルゴリズム機械学習、あるいはSIMD演算による高速化、並列化、そもそも大きいプログラムを効率的に開発する手法などを学べる気がしたし、Web上にそこそこ資料があり公開されているソースコードが多かったのも学ぶ環境として悪くないと思ったのだった。

 だから根源的なモチベーションがコンピュータ将棋自体にあるかというと少し自信がない。特に"研究"としてやるのであればもっと基礎的な部分であるとか、あるいは自然言語処理などの方向に行くのではないかなと去年は思っていた。結局はコンピュータ将棋以外をやる気が起きず、それを研究だと言い張るような形になってしまっているのだが。

 そんな曖昧なモチベーションでやっているわけだけど、最近、強化学習の枠組みは気に入っているのも確かだなと思い始めている。探索アルゴリズムも少しは好きと言える。やっているうちに、というやつなのかな。

 気に入りだした理由は、おそらくこれらが「意思決定」に関わるものと表現できるからだと思う。意志なのか意思なのか、それはどうでもいいけれど、「意思決定」という言葉が好きなんだろう。自由意志なんて信じていないくせに。いや、だからこそかもしれない。自由意志の否定は、意思決定のアルゴリズムを明らかにすることなのか。確かにそれはそうだよな。僕は世界が機械仕掛けでできていて欲しい。

 機械的に評価値を最大化する探索アルゴリズムが好きだ。報酬を最大化する強化学習が好きだ。きっとそれは、そういうことなんだと思う。僕もそれくらいシンプルに生きられたらいいのに。

 読んだ。

 話が終わりに近づくとどうしても悲しい話も回収しなくてはならなくて、そして締めに向かうということ自体もどこか悲しみを帯びるから、明るいだけではいられなくなってくる。しかしここで締めるのがちょうど良いのだと思う。あとがきで筆者自身も書きたいことが過不足なく書けたと言っていて、それは素晴らしいことだ。

 読書メーターの記録を信じるならば、以前読んだのは4年前のことだったらしい。4年の歳月は長い。先月に好きなライトノベルを聞かれたとして、この作品を挙げられたかどうか自信はない。でもやっぱり好きなシリーズだし、それをちょうど読みたいタイミングで読めたっていうのは良いことだなと思う。自分が読みたい話のイメージがあって、それをもとに持っている電子書籍の一覧を眺めて、見つけたのが『いなくなれ、群青』だったし、そこからこっちにたどり着けた。河野裕、得難い作家だと思う。

 すぐに風化してしまうものだとは知っていても、できるだけこの素敵な余韻が長続きしてくれると良いな。

1010

競技プログラミング

 今日の一問がとんでもなかった。ACするまでで3時間。その後も間違っていた原因を探ったりで、結局4時間以上かかっている。流石に負担が大きすぎるし、最近は他人に比べると競技プログラミングに対する情熱も今一つ足りていないなと感じる。やはりICPCまでにARCの3問目を埋めて、蟻本をちょっとやって、ある程度納得できる結果を出してパーッと終わりにしたい。これを解いている間に教科書をずっと訳している人が近くにいて、その方が勉強にはなっているだろうなぁと思ってしまったのだった。

コンピュータ将棋

 競技プログラミングに時間を吸い取られたのであまりやれなかった。とは言っても思ったより進歩はあったかもしれなくて、というのも数値微分を書いて誤差逆伝播がちゃんと上手くいっているかを検証してみた結果、わりとダメだったことがわかったからだ。policyを合法手でマスクすると微分の式がわからなくなって崩壊するのでダメだし、valueに駒割を混ぜ込むのも(少なくとも今の方法では)ダメだった。この辺を直してとりあえず学習開始。あまり期待してはいないけど上手くいってくれたらいいな。

 お作法としてテスト駆動開発のようなことをやるかはともかく、もっと検証とか可視化を大事にした方が良いんだろうなと最近思うことが多い。普段競技プログラミングであれだけミスばかりしているのに、どうしてコンピュータ将棋では一発で思った通りのプログラムが書けていると思い込んでしまうんだろう。思い込んでいるというよりも、そうであって欲しいと目を背けているだけなんですよね。

小説

 『サクラダリセット4 GOODBYE is not EASY WORD to SAY』を読んだ。

 そういえばここで短編集が入るんだったな。どうりで3巻までで異様に進みが早いと思った。こうやって合間合間に描写を入れていくことでヒロインのいじらしさがよりわかるという良い話。

 『サクラダリセット5 ONE HAND EDEN』も読んだ。

 ワンハンドエデンという名前が好きですね。何か元ネタがあるのかは知らないけど。

 主人公と読者がある意味同じ立場に置かれているのはずるい構造だなぁと思う。主人公として配置するのに相応しい能力だ。

 なんか調べていると改訂版? みたいなの日本語タイトルが付けられたものが出版されてるっぽいけど、僕はまぁよくわからん英語タイトルも結構好きだな。

その他

 新人王戦は藤井七段が勝っていた。相掛かりも強いね。そして明日にはもう竜王戦第1局が始まるのか。時が経つのは速い。

 最近ちょっと朝が遅くなっている。やはり9時くらいには着いているようにしたいなぁ。

 何か人生の目標を決めた方が良いのではないかなと、ふと思ったりした。意外とお金に拘るような、自分の能力で稼げるお金を最大化するという目標も悪くはなさそうに感じる。目標達成自体に意味があるわけではなくて、ゲーミフィケーションするべきなのではと思っているだけ。だから目標は収入最大化でも、知名度最大化でも、測りやすいものならなんでもいいんだろう。ただ知名度最大化だと「凶悪犯罪をする」以上に効率的な方法が思いつかないわけだけど。

1009

Twitter

 @kaitei_shogiのアカウントを作ってから、多少呟かない時期はあったとはいえ、全く見ない日々というのはこれが初めてだと思う。何か(コンピュータ将棋界的に)とんでもないことが起こっていたとしても僕はそれを知らずに生活しているのだなぁと思うとちょっと不思議な感じだ。AlphaZeroがfloodgateに参入してるとかそういう面白いことが起こってないだろうか。

 まぁuuunuuunさんも1か月とか言っていた気がするし、少なくとも僕は11月にはまた再開する予定。別にTwitterを見ないようにしたところで、生産性が上がるとか幸福度が上がるとかそういうことはないのだ。多少本を読む時間を確保できるという面はあるかもしれないが、それだって良いことなのかどうかはわからない。むしろ重要な情報を逃す損失の方が大きいんじゃないかな。

 河野裕サクラダリセット2 WITCH, PICTURE and RED EYE GIRL』を読んだ。

 登場人物の名前というのは一つ気になる点であって、(おそらく)作者が一人で全てのキャラクターの名前を付けるというところに強い恣意性を感じる。現実に近い名付けであっても、あるいは創作された世界であると割り切った記号的な名付けであっても。何が言いたいかというと、この作品で出てくる「岡絵里」という名前が好きなんですね。到底似合わないようなキャラクターにそれを与えて、「冗談みたいな」なんて作中で言ってしまうそのネーミングセンスが。良いキャラクターだと思う。どうしても主人公を引き立てるような立場にはなってしまうわけだけど。

 主人公の我儘さというのがわかってきた気がする。というよりもそれを「我儘」だと言ってしまう気持ちがわかってきた。ヒーローの定義は階段島シリーズの2巻でなされていたそれそのものなんだろうな。過程、終わらなさ、エンドを迎えられない性質。そういうものなんじゃないか?

 『サクラダリセット3 MEMORY in CHILDREN』も読んだ。

 「羊の皮をかぶった羊」というたとえは秀逸だね。同じ形をした白い二つの箱の話も好きだ。こういうたとえ話が比較的上手い作家だと思う。僕が気にいるものが多い、くらいに留めておいた方が良さそうか?

 純粋性、善と偽善、自由意志などの話が語られる。全体的に同意ができるし、興味深い投げかけだと思う。しかし最後のものだけは、たとえ全知でなかったとしても自由意志なんてものはないと思っているよ。

 話が止まりやすい過去編でここまで動かすには相当苦労があったんじゃないかな。初めての長編だとは信じられない素晴らしい出来だ。

アニメ

 この前観た『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』について考えていた。変身シーンとか口上とかは好きだったけど、シリーズを一本通してみたときに通底するテーマがちょっと足りなかったのかなという気もする。各話をそれぞれで見るとそれなりに面白いと思うんだけど、その中でテーマが奥底に響いて最終話で花開いたりするともっと名作の領域に行っていたのではないか。最後に一瞬だけ出てきたメタ的な要素が世界の仕掛けに関わっていたりしたら面白かった。1回観ただけだからいろいろ取りこぼしているところもあるんだろうけど。「アタシ再生産」という方向性でもっと観ていかないとダメなんだろうな。こっちの解釈が甘いだけか。

その他

 今日もまた研究室の先輩方から焼肉に誘われたのを断ってしまった。なんか、完全に人付き合い悪い人間になってしまっていて、さすがに前はこんな感じではなかったのになぁと思う。しかしこういうちょっと悲しいときこそ捗るという悲しい性質が備わっていることを自分は知ってしまっているため……。しかし思ったより何も捗らなかった。

1008

コンピュータ将棋

 ニューラルネット版で千日手ばかりになってしまう現象の原因がわかったかもしれない。学習時に非合法手はマスクしなくて良いと思っていたけど、それだと合法手になり得る数に依存して勾配が発生してしまうようだ。つまり序盤であり得る手のどれかばかりがpolicyとして高くなっていき、結果千日手ばかりになる。しかしこれを直しただけで上手く学習してくれる気がしないなぁ。微妙に千日手が増える(10%前後もある!)のはまだ変わっていないし。

 自分のやっていることが「研究」と呼ぶに相応しいものなのかすら自信が持てないが、とかく研究はつらいものである。他人の手法の再現すらできない。このまま一生バグが取れないんじゃないかと思う。答えのないものをやっていくのは怖い。進歩が訪れる保証がないから怖い。

 KPPTの学習すら成功しなくなった。勾配の式が間違っていたとは思うんだけど、その間違っていたはずの式を直したら学習が進まない。sigmoidの微分が2重にかかっていたはずなんだ。評価値の絶対値が大きいところでは勾配を小さくした方が良い? わからない。苦しい。

一年前の日記

 この時期はドラクエをやっていたようだ。そして早くクリアしたいと言っている。今年はダークソウルでそれをやった。何も成長がないな。

 コンシューマーゲームをやっているときに特有の焦燥感がある。もう諦めた方が良いのかもしれない。

 河野裕サクラダリセット CAT, GHOST and REVOLUTION SUNDAY』を読んだ。

 昨日読んだ『いなくなれ、群青』が大変面白かったのでサクラダリセットにも手を付け始めた。もちろん文句なしに面白いシリーズなのである。記録によれば読むのは3回目だそうだ。もうちょっと読んでいる気がするけど。

 初めて読んだときはライトノベルに触れだしたころで、この面白さの希少性があまりよくわかっていなかった。ライトノベルにはこれくらいのものがゴロゴロしているのかと驚いたものだったが、いやしかしこれはかなり質の高い方にある作品だったのだ。有名どころから読み始めることが多いのだからある意味当たり前ではあるんだけど。

 大学から帰る道を歩いているときにも河野裕作品について考えていたんだけど、どこか新海誠の作品と似た要素があるのではないかというところに至った。つまり理想主義的なところ、特に理想を追い求めるという過程、行為そのものが好きそうなところが。『いなくなれ、群青』はそのあたりについてかなり直接的に書かれたものだった。

その他

 政治的な話にはあんまり興味がないんだけど、もし「安楽死を誰でも簡単にできるようにする」ことを公約に掲げる政治家がいたら気になってしまうかもしれないな。全人類が「押せばすぐさま眠るように死ねる」ボタンを持ちながら生活をしていって欲しい。