日記

日記です

0628

 09:11に研究室着。来る途中で帰宅中の先輩とすれ違って、は? ブラック研究室か? とか思った。

 午前中は競技プログラミング

 午後は3限が離散凸解析。

 4限は可視化。今回はあんまりよくわからなかった。

 18時から競技プログラミングの練習会。ICPCの仕組みあまり好きではない。やっぱりコード提出のフルフィードバックなAtCoderに慣れてしまっているなぁ。

 20時半ごろに帰宅。ちょっと遅くなるだけで疲労感強い。

 ワールドカップなんやかんやちゃんとWeb配信しているところを見つけてしまったのでとりあえず観よう。

その他

 疲れていると日記も書けない。

 Amazonでいろいろ注文する元気をひねり出さなければならない。夏服も足りてないような。

 種々のことについて気合が足りていませんね。気合です。

0627

 09:18に研究室着。今日は久しぶりにちゃんと眠れた気がする。

 午前中はずっと競技プログラミング。mini-maxにおけるメモ化再帰において返り値とメモする値を別にするというテクは面白かった。その先のスコアのdiffをメモしておくみたいなイメージですね。これは頭いいなぁ。他にも切り上げについて知見を生やしたりしてなかなか有意義ではあったと思う。3時間もかけたわりには……って言われたら知らない。

 午後はちょっと進捗報告会の準備をしたけど、うーん、研究テーマがまだ全然見えてこない感じですねぇ。何をするべきかが全然わからない。

 とりあえずtensorflowについてもうちょっと勉強していく。C++のヘッダオンリーNNライブラリなるものもちょっと気になる。どれくらいの性能が出るもんなんだろうか。

 研究に対してモチベーションが高いかと言うとちょっと微妙なところがあるんですよね。どちらかというと競技プログラミングとか、将棋ソフト開発とかそっちの方がやりたい気はする。研究、いまだによくわからないしなぁ。まぁとにかくもっと実装力を高めたいところですね。

 5限はサーベイミーティング。今回は簡単めの内容を意識したんだけどどうだったかはわからない。とりあえず。スライド公開は怖いのでやめてしまった。

 その後20時くらいまで残って、コンビニ行ってさぁお弁当を買うぞというシーンまでいったけど、ダメだった。なんか買う気が起きなかったのでそのまま帰宅。もう大学で夕食を取るのは諦めようか。なんか無理だ。それに集中力も上がらないし要るだけ無駄だという気もする。

 9時台に着いて、19時台に離脱すれば10時間くらい。それでいいだろうなぁ。夜遅くの方が人が多いのでその中帰るのはちょっと焦りがあるんですよね。

 帰ったらヘロヘロになってしまっていた。やっぱり長く大学に居すぎたな。

 DDLC、世の中のオタクがいろいろ語っていて良い。ちゃんと調べれば面白い話いっぱい集まりそう。

その他

 おおよそ連載という形式があまり好きではないなぁと感じることが多い。"今季"アニメとか、週間連載の漫画とか、そういう時間的な制約がかかるのは悲しいことの様に思われる。せめて何かの作品に触れるときくらい時空間の影響がない状態でいたい。"流行"が好きではないのと同根だと思う。

 ところで昨今は各種アニメ配信サイトも充実してきており、その気になれば過去の気になる作品を手軽に観ることができるようになっている。そんな中結局ほとんどアニメを観ていないということは、やっぱり僕はアニメという表現形式自体があまり好きではないのだろうなぁと思う。感覚としては小説、漫画、アニメ、実写の順番になってしまうのかな。できるだけ身体や声、連続的時間などから離れているものの方が好きなんだろうと思っているが、今後どうなるかはわからない。

 今読んでいる本が結構面白い、のだが、なかなか読み進めていけていない。大学1,2年の頃は「疲れて本が読めない」という感覚が全く分からなかったが、プログラミングするようになってからはそういうのがわかるようになってきてしまっている。ひょっとしてプログラミングと読書、相性が悪いのでは? 過度な一般化はやめましょう。

 そういえばゲームパッドを買おうと思っているのだった。何かオススメがあったら教えてください。

 Steamのセールでもなんか買いたいですね。今のところウィッシュリストに入れているのは

 Celesteは結構信頼できそうなオタクが勧めていたから面白そうなんですよね。

 疲れた。終わり!

0626

 09:11に研究室着。今日も上手く眠れなかったし、おなかの調子も悪いので厳しい一日になりそうだ。

 午前中は明日のサーベイミーティングのスライドを準備するなど。なんか最近サーベイミーティングの発表スライドをインターネット上で公開しようみたいな機運があるんですが、え、これ全世界に公開しなきゃいけないの? 嫌だなぁ。

 午後は競技プログラミング。解けませんねぇ。何も解けない。

 精神的にやられてくると足に力が入らなくなる。つまり歩くのが遅くなるという症状が出てくるわけですが、完全にそれになった。5限の教室に向かうまでに無限の時間が必要かと思った。

 5限はグラフの講義。マジで何一つわからなくて面白かった。数学科の講義厳しすぎる。

 その後はちょっと残ってなんやかんややってたけど虚無だったのでさっさと帰った方が良かった。研究室でコンビニ弁当を食べる気がどうしても起きない。なんでだろうなぁ。

その他

 なんか最近人々が過激ですね。危害を加えていくぞという気概を感じる。

 アイドルマスター、実質メタフィクションでは? とか思い始めている。まぁなんというか二次創作的文化圏が好きなんだろうな。

 ニコニコ動画の御三家とか言われていたジャンルって結局そういう性質強いですよね。介入可能な虚構世界。なんだそれは。    当たり前の話だけど、僕は僕の感性が好きだ。僕の感性と僕の感性は完全に一致している。

 一方でやはり能力的にはもっと高ければ良かったのになぁと思うことは多い。こんなポンコツな機体を渡されてもねぇ。

 「何について語らないか」にこそ感性を研ぎ澄ませていきたい。

0625

 10:20に研究室着。ワールドカップを観ていないのに朝スパッと起きられず遅くなってしまった。そしてなんだ今日の暑さは。研究室についても汗が引くまでしばらく作業ができなかった。夏は厳しいすねぇ。

 午前中はちょっとサーベイミーティングのスライドを修正したり競技プログラミングをやったり。

 競技プログラミング、弱いと問題解くのにも時間がかかって訓練に時間がかかり、つまりレベルアップも遅いという悲しい現実があります。

 午後もまぁ競技プログラミングをやっていく。本番まで2週間切っているしできるだけやっていかないと。

 5限はコンピュータビジョンの講義。一切聞かずに競技プログラミングをやっていた。院でも講義あるって何?

 ちょっと残って19:30ごろ離脱。研究的な成果はゼロだったなぁ。

 そういえば来週月曜日には進捗報告会があるわけですが、競技プログラミングやっているので虚無ですということになりそう。

 21時からはだるまさんと通話。DDLCの話をするって言ってたけど僕もほとんど準備してなかったので雑談がメインになっていた。やったのがちょっと昔ということもあるし、ちゃんと言うこと練ってないとなかなかフワッとしたことしか言えませんね。会話だとやはり文章より不用意なことをぽんぽん言ってしまうというアレがあり、まぁそういうのも大切なんだろうなとほとんど会話しなかった大学3年間を振り返って思う。内省グルグル人間好きだけど、程度問題でもある。

その他

 感情喪失シリーズというギャグをやっていたのを忘れていた。

0624

 今日は研究室には行かず。

 午前は起きるのが遅くていつの間にか終わっていた。

 午後はバーチャルコンテストに出たり。格の違いを明確に感じてしまった……。うーん、やっぱり僕は競技プログラミング弱いですねぇ。頭が悪いともいう。

 僕が競技プログラミングに時間をかけても到達点はたかが知れているなぁという気持ちもあり、おとなしくゲームでもやっていたいとかそういう気持ちにもなる。

アイマス

 もう数日前の話だけど少し。

 プロデューサーを名乗るのはごっこ遊びだが、そこに屈託があって欲しいとも思ってしまう。現実と虚構のギャップ、ファンとプロデューサーのギャップ、そんなものを(一部の)「アイマス」ファンには感じていて欲しいし、できればそれを言語化してほしい。それは創作ができるPよりもできないPの方が痛切に表現できるのではないか。

 やはり「プロデューサーの行く末に」はとんでもない名文なんですよね。考察も(全部同意できるわけではないが)それっぽいことを言っているという中で、確実に個人の真摯な体験がベースにあると感じられるのが良いんですよね。

初ライブのあの日、私は一曲目の『THE IDOLM@STER』を歌うガールズを見て心を揺さぶられ、涙さえ流した。自分を救ってくれた「アイマス」が目の前にあるのだと感じた。ただ「ありがとう」と叫ぶことしかできなかった。そして、あのとき『魔法をかけて!』を歌い踊る中村繪里子さんは、私にとってはまぎれもなく“天海春香”であったのだ。

 こういう文とか、きっと僕もその環境に置かれてしまえばそう思うんだろうなという説得力がある。そして真骨頂は強烈に本人の話題に引き付けられている最後の5章で発揮される。

「俺」の物語でしかないからだ。

 ここでこう始まるのが本当に好き。アイマスに関して冷静な視点で語ろうとすることも大切かもしれないけど、個人の体験、感性にがっしりと結びついたときの圧倒的な説得力には敵わない面もあるんじゃないかと思ってしまう。

しかし、あの文章は大嘘です。 いや、正確にいえば俺は自分とは無関係なものとしてあの文章を書きました。

 こういう転倒とかね、もう完全にミステリものですよ。素晴らしいよなぁ。ここで"プロデューサー"という言葉が持つ重みが全てひっくり返ってくる。この構成はなかなか真似できない。すごい。読み直していて脳が痺れてくるほどだ。「おわりに」の後半の勢いが凄まじすぎる。これが文章。

 さらに言えばこの後に続く「都筑みらい」はそこにいた」には凄まじいエモさがある。これがエモ以外の何者だとというのか。

 やはり僕がアイマス関連を多少なりとも追いかけようと決断できる名文だった。アイマスの作品自体よりも、その周辺のファンの方が好きかもしれない。

 結局僕はよくわからない屈託が好きなんだなぁと思う。そしてそういったものの発露としての文章が。

 長くなったのでこれで終わり。日記じゃない方に書くべきだったかな。

0623

 09:41に研究室着。そういえば持ち駒の数をスカラとして与えても大丈夫だよねみたいな話の検証をしていなかったことを思い出してその実験を始める。まぁ大丈夫そうですかね。

 午前中はずっと競技プログラミング。幾何の問題は実装が難しすぎる。1問で3時間溶けた。

 午後になって違う問題に手を付けるけど解けない。難しいなぁ。

 その後はOBOG会とやら。ためになったようなそうでもないような。

 ARCダメでしたね。あんまりTwitterによくわからない自虐まみれのポストを投げるの良くないなーと思っているので黙っていましたが、相当堪えた。悲しい。いやー、最近ちょっとは腕が上がっているとか思っていたんだけどなぁ。今日は日中も全然問題解けなかったし、全然ダメ。ここ最近全く実力変わってなさそうだなぁ。

 うーん、良くない言葉ばかりが湧いてきますね。そうではなくて反省して次に繋げることが大事なはずですね。

 なんというか、苦しくて悲しいけどこれを求めて競技プログラミングをやっているみたいなところは絶対にあると思うんですよね。将棋も同じで、勝つとか、上手くいった喜びではなくて、ダメだった時の苦しさこそが一番、なんというか、強い感情だという気がしている。感情は絶対値が大きければ種類は何でもいい。

 本当に強くなることを目指すなら苦しさに陶酔してないでさっさと反省して次に行くべきなんですよね。

 レートが更新された。-56ですか。そうですか。これも相当だけどちょっと心が麻痺していて大したことないように思える。なんだこれ。

 7/6までに青になるというのはほぼ無理そうですね。そうかぁ……。か弱い……。

 その他もいくらか書いてたけどこの雰囲気に合わないので後日。はぁ……。

0622

 09:24に研究室着。

 午前中は競技プログラミング。そこそこの問題を2つ解いて後は将棋観たり。実装力が足りませんねー。これはどうやって身に着けるものなんだろう。たくさん書く以外の方法はないかな。

 午後はサーベイミーティング。にゃーん

 Exitの論文を読んでいるが、やっぱりよくわからないところがある。文法がよくわからないところすらある。なんというか、ちょっと論文の質が良くなさそうとか思ってしまうんだけど……。

 今日も今日とて深浦-藤井戦に気をとられてなかなか作業が進まない。さすがに将棋中継観過ぎだなぁ。もうちょっと自分の作業をしっかりやっていかなければ。

 今日はもうあれだなぁ。文章書きの日だなぁ。

 研究、どこかと被りそう(被ってそう)という恐怖がずっと消えない。そんなのどうせいっちゅうねん。

 しばらく居室して競プロやったりしてみたけどまぁ集中力でないっすね。

 20時前に離脱。今日はひどかった。さすがにちょっと将棋中継見るの自重しましょうかね。しかし藤井聡太は強い。

 そのあとはダラダラしつつSkype練習会に参加したりなど。なんか日曜日に5時間のヴァーチャルコンテストやるっぽいですよ。v-judgeのアカウント持っている人は参加できるかもしれなかったりしなかったり。

その他

 「無から有は生まれない」とすると、現状世界は有であるように思われるため世界が無であったことなどないのだろう。地球が生まれる前、宇宙が生まれる前……などと考えていくとどこかで無である状態があるように思えてしまうが、おそらく誤謬だ。

 僕は時間という概念を常々不思議に思っていて、今のところは『「いま」と「わたし」は同じものの別名である』という永井均の説明が気にっているんだけど、今後どう転んでいくかはわからない。

 おおよそ「いま」という概念は主観に頼らざるを得ないものだと思っていて、客観的世界に「いま」があるとは思えない。そうすると過去はどこに行ったのか? というような問題があり、実は過去はどこにも行っていないのだ、ということになる。あらゆる瞬間が均質に存在しており、ただ「わたし」という主観的存在によってそれが特別視される。したがって「わたし」も偏在していなければならないが、「わたし」が「わたし」と思うところの「わたし」はこの「わたし」だけなのだ!

 単純な永劫回帰は否定されているのだろうか、ということを考えている。原子の状態とかは有限で、一方で宇宙を含めた「この世界」丸ごとの生成はおそらく時間から独立した事象であるように思われるため無限の仮定がある。したがって全く同じ原始の状態が複数回(それは当然無限回)発生しうるのではないか。これはなんとなく単純な物理の話で否定されそうな気がする。つまり今の状態というのが原子の状態というように有限のものの組み合わせのみで記述できるものではないのではないかということだ。そうなると無限vs無限ということになり、濃度? とかの話になってくるのだろうか。この辺りはさっぱりである。